民放のテレ朝やフジなどの情報番組で、コメンテーターとしてよく登場している著者のこれまでの軌跡や考え方がよくわかる一冊。タイトルにあるように、自問自答しながら歩んできた苦悩、率直さが伝わってくる。
著者は、早稲田大学在学中に、鴨武彦教授(54歳で死去)のもとで、国際政治を学んだことを紹介したうえで、p66に「戦争のない世界の実現をめざすことが、ジャーナリストの仕事だ」と記している。なるほどと納得するところ、多々あり。
発刊した朝日新聞出版のサイト↓
本著については、以下のサイトなどで、概要が紹介されている↓
印象に残った部分など、引用して以下メモ。
p15:大げさに言えば、軍国主義一色に染まった戦前の日本の歴史を繰り返さないためにも、コメンテーターには社会の危うい動きに、「ちょっと待った」と歯止めをかける役割もあるように思う。p79:「こんなにかわいいお子さんが亡くなったと、世の中に伝えたいんです」という言葉は、きれいごとかも知れないが、嘘ではない。私はどうか。勝手な口実で、しんどくて面倒なことから、ただ逃げていただけではないのか。p99:取材の一丁目一番地は人と人が直接向き合うコミュニケーション、もっと言えば一対一の真剣勝負から始まる。どれだけ便利なツールができても、そこは省略してはいけない。p155:フリーだったら死んでもいいのか。責任を負わず、金でけりをつけていいのか。番組デスクと口論になった。我々がそんなことをしたら、「記者失格」なんじゃないか。・・・・虫唾が走る。p157:ただ基本は、何があろうと現場に行く。行けなかったら、可能な限り近づく。そうしなければこの仕事はできないということだけは、何があっても譲ってはいけない一線として、自分の中にある。p159:勝手な言い草かもしれないが、組織を残すことを先に考えてはダメだというのが持論だ。p194:「どれだけ生きるかじゃない、どう生きるかが問題だ」(ブラックジャックで読んだと記憶)p201:(あさイチ統括プロデューサー)「失敗することを怖れるな」と常に言っていた。「何でもやってもみよう。失敗したっていいじゃない。また次に生かせばいいんだから」と
ミャンマー軍に拘束されていた日本人ジャーナリスト・北角裕樹さんが5/14、解放された。これを記入している5/22(土)の朝日新聞・朝刊の見出しは、「イスラエルとハマス停戦 合意維持、懸念も エジプト仲介」。世界の現場は、いまも危険に満ちあふれ、香港の状況など、どう考えたら良いのか、悲しくもなる。
刻々と状況も変わっていくなか、『「そういえば、あのときよく死ななかったな」と思う瞬間は何度もある(p34)』という著者が、これまで危機やがんを乗り越えてきただけに、いつまでも活躍していていただきたいと願う。
{2021/5/15-18(火)読了、記入は22(土)}