男女共同参画センターの新着コーナーにあった本で、最近の判決のことかと借りてみたが・・・壮絶な著者の体験が書かれ、驚いた。暮らしの手帖社から10年前に出版された本の再版とのこと。
発刊した論創社のサイト に章の目次あり↓
各章のタイトルと、一部内容を章ごとに引用↓
序文 たおやかで強く、うつくしくあれ 日野原重明第一章 愛と葛藤の始まり~学生から主婦へp51:いつからか私はサングラスが手放せなくなった。彼は癇癪を起こすと、決まって私の顔を殴った。目の周りや頬はアザとハレが絶えなかったので、それを隠すために、外出する時はいつもサングラスをかけていた。第二章 わが子の誕生p72:(1969年の平賀書簡事件:自衛隊の存在を違憲と考える福島判事に慎重に判断をと手紙)福島判事は、私信を公表したことで最高裁から厳重注意処分を受け、囲碁、不遇といわざるをえない人事待遇を受けることになった。そして裁判干渉した当の平賀氏は順調に出世したのも皮肉な話えある。第三章 裁判所のDV事件p132:「殴らないということは、他人になるということだ。これ以上一緒にいたら、何をするか自分でもわからない」・・・「この子はどうなるの?坊やがいるのに、あなたは何を考えているの?・・・あなた、それでも裁判官?」「ぼくには子どもより仕事が大事だ」第四章 司法試験を目指すp140:振り返ってみれば満26歳の今日まで、私は何もかも順調そのものだった。・・・私は平和ボケならぬ幸せボケになっていた・・・p166:(みなしごハッチが母親を求めて泣くシーンで)「ハッチにも教えてあげたんだ。ママは勉強中だから泣かないでねって」・・・なんだか不憫でこっちが泣けてしまう。p181:1976年第30期の司法修習で、女性差別発言をした4人の裁判教官は国会の訴追委員会にかけられるp211:私は自分自身の旧い育ちや体質と、頭で考える人権や男女平等の狭間で揺れ動きつつ歩んできた自分の半生を、いま不思議な思いで振り返ってみる。終章 裁くとはp266:「マルイチ会」の創設と成果p231:男だから裁判ができるのでも、女だから裁判が分からないのでもない。人間として謙虚になるときだけ、裁判に携わることができるのだと思う。
当時はDVという言葉もなく、司法研修所での意識も隔世の感があるとはいえ、いまも根強く続いている部分があることも、否定はできないと思う。
ジェンダーギャップ、意識を変えていくことが必要なのだろうと改めて思う。
{2021/5/24-25読了、記入は5/29(土)}