読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

「当事者」の時代

「当事者」の時代 (光文社新書)

「当事者」の時代 (光文社新書)

ソーシャルメディアの現状や今後を考えるうえで、著者のこれまでの著作はとても参考になる。
本著は、これを日本の言論界や思想の歴史を振り返りながら、分析を試みた意欲的な一冊で、これまでのメディア空間が、当事者性を失い、弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する“マイノリティ憑依”に陥ってしまったとして批判する。
記者クラブの実態については、書き手の感情を含めて克明に描写されていて引き込まれる一方、思想や概念の歴史については、自分でどこまで理解できたのか怪しいところもある。
ソーシャルメディアの勃興で岐路にたつメディア言論という問題意識から、劣化したのではなく構造的な問題だとして解き明かそうとしたとして、最後に、「いずれにせよ、一人ひとりが自分自身でやれることをやっていくしかない…それでも闘い続けるしまない。そこに当事者としての立ち位置を取り戻した者がきっと、つぎの時代をつくるのだ」(p463)とまとめている。
ジャーナリズムは「弱者の立場に立つ」のが基本だと思ってきた世代としては、どういう“当事者性”がありうるのか、模索していきたい。

(目次−引用)
プロローグ 三つの物語;

第1章 夜回りと記者会見―二重の共同体;
p56:でも実際のところ、特ダネ競争に呑み込まれる最大の理由はもっと卑近なものだ。ひとことでいえば、新聞社のなかでの会社人生がかかっているからこそ、みな必死で頑張るのである。
p72:社会をゆるがす大事件の捜査にたずさわっているという興奮。その事件にまつわるさまざまな情報。そしてそういう情報をやりとりする際に使う隠語。禅問答のようなコミュニケーション。そういった事件にまつわるコンテキストの濃さだけが、この共同体を維持する基盤となっているのである。


第2章幻想の「市民」はどこからやってきたのか;
p176:マイノリティをマジョリティとして描かざるを得ないジレンマ

第3章 一九七〇年夏のパラダイムシフト;<7・7告発>


第4章 異邦人に憑依する;


第5章 「穢れ」からの退避;


第6章 総中流社会を「憑依」が支えた;


終章 当事者の時代に


{11/23-30読了、記入は12/1}