読書録

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放送法と権力

放送法と権力

放送法と権力

 政府とメディアの関係について、さまざまな分析視角を提示している。まず歴史的経緯として3つのステージがあったという。p19〜p22
第一期:1950年から80年代半ば 
・電波三法により政府が謙抑性を発揮して、放送番組への直接介入を控えていた時期
第二期:80年代後半から2000年前後まで
・政府が個別の放送番組に目を光らせ始める、
・85〜93年に深夜低俗番組に行政指導、93年に「椿発言」で行政指導の正当性を追認
第三期:2000年代以降
・政府が放送局に遠慮なくものをいう時代が到来、有事立法など法制化+電波停止も答弁
←16年2月の政府統一見解で示された個別一番組であっても判断対象にする方針は従来を変更、
表現の自由との関係で瑕疵がある〜p22
←p175:放送法は放送番組を規制するのが目的ではなく、放送の自由を守るための法規であり…公正原則を定める法4条の解釈は…本来は「自律的ルール」であり、法的拘束力はないと理解…「倫理規範」だとしてきたものを、1980年代後半ごろから、社会に広がるマスメディア批判に乗じて、政府が放送局を縛る根拠(法規範)として利用しようとしている。

発刊した田畑書店のサイト→ http://tabatashoten.co.jp/


 また第三章では、放送の歴史の時代区分として、以下の3つをあげたあと、権力との関係で4区分を示す
黎明期:(民間開放・テレビ創業時代)戦:後45年から25年間(1970)、放送制度が固まり二元体制が確立
成長期:(多局化・ニューメディア時代):20年間(〜1990)高度経済成長とともに産業が発展、民放開局
成熟期:(デジタル時代)バブル崩壊以降の25年間(〜2015)バブル崩壊以降 p183

構築(1965まで)50年の電波三法の施行と66年の放送法改正で民放複数番組視聴が確認される
躍動(1980年代半ばまで)五輪や万博、ベトナム戦争沖縄返還など存在感を示す+テレビフィルムの裁判利用
挟撃(2000年代まで)名誉毀損やプライバシー侵害批判など、97年BRO、01年集団的加熱取材対応
+93年禁断の王国ムスタンやらせ、テレビ朝日報道局長発言で、政府・政治家や視聴者からの厳しい監視
忖度(以降)行政指導の頻発、政権および政権与党からの直接的な抗議や働きかけ p184〜p198
 

 <NHKの公共性を考える>指摘としてp205〜207
◇めざす「公共メディア」で、具体的なイメージとして「公共性が高くNHKらしいもの」がみえない
接触率を上げるためのネット進出は、民業圧迫になる以上に、公共性を薄め、存在意義を不透明にする可能性
◇新業務のために地方局の予算削減で現れているとされるが、地域性なおざりは許されな
◇徴収義務化は、独立性を担保する受信料制度から、国家の関与が避けられず、大きな影響力を受けると想像



{2017/6/27-7/4読了、記入は7/4}