読書録

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メディアが震えた テレビ・ラジオと東日本大震災

メディアが震えた: テレビ・ラジオと東日本大震災

メディアが震えた: テレビ・ラジオと東日本大震災

東日本大震災の報道をめぐるテレビへの批判として、編者の丹羽義之東大准教授は、1.発災直後の大津波で住民に速やかな避難を促したのか、停電で役に立ったのか、2.被災地報道で被災した人々が求める情報を届けることができたのか、3.原発事故報道で政府や東京電力の発表を無批判に垂れ流したのではないか、を教訓として指摘する(p359)。また脚注では、福田充『大震災とメディアー東日本大震災の教訓』として、1.センセーショナリズム、2.映像優先主義、3.集団的過熱報道、4.横並び、5.クローズアップ効果、6.一過性、7。報道格差、8.中央中心主義の問題点を紹介している(p391)。その上で、ニュースの「忘れ物」として、優れたドキュメンタリーも制作されたと紹介し、「ジャーナリズムの精神が次々に再起動していく姿p390」をつなぎあわせることで未来に向けて再生していく力になると激励している。
一方で、第8章で烏谷昌幸武蔵野大准教授は、『ホットスポット』の担当が注意処分を受けたことに触れ、「一部の良心的なジャーナリストたちが行った希少な自己検証作業、今後への問題提起としても読み得るものであり、これを今後の原発事故報道を考えるための議論の叩き台として位置付けるのではなく、「厳重注意」によって封じ込めたことは大変残念なことであるp303」とし、「テレビと原子力の関わりを厳しく注視していく必要がある」と主張している。
また、第9章では、「原発事故を起こした当事国にあって、確固とした権力監視機能を発揮すべきだ」と指摘されるように、引き続き課題は多い。


本著の内容については、出版した東京大学出版会のサイト⇒ http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-053019-4.html


今後への参考も含め印象に残ったポイントを以下に引用
◇地域偏差で、報道過密地(南三陸町)と報道過疎地(山元町や野田村)があった(p95〜)が、山元町では臨時災害FM放送局「りんごラジオ」を地域住民が立ち上げ、「誰のために」「何のために」「どのように伝えるか」を意識して放送した(p153〜)。
臨時災害放送局は、岩手宮城福島の24自治体に26局、茨城に4局、あわせて30局設立され、うち10局は既存のコミュニティ放送局からの移行だった(p197)が、中には自治体からのお知らせのみや、スタッフ不足が課題になっている局もある。2012年12月に信越総合通信局がまとめた「防災・被災のための放送利用行動計画」では、1.災害時に開局できるよう体制構築、2.既存のコミュニティ放送を生かしたりCATVのコミュニティチャンネルを生かす、防災行政無線のサイマル放送など平素から連携を深める、3.平時から地域の取材力を強化し、市町村と局側が情報を共有できるよう「公共情報コモンズ」を活用する体制を構築する(p225)などの動きがある。
◇首都圏の震災報道は量が少なく忘れられていく中で、県域の独立系とともに、CATVのJCN大田が高い評価を受けた(p236)が、地元行政と密着な関係にあったことを担当が紹介し、ネットは不得手な人もいる中で「ニュースはもとよりデータ放送でも随時掲載し、高齢者にも簡単に、しかもピンポイントで地元の情報を得られることを意識して報道した」という。今後の課題として、放送業界におけるテレビ局間での緊急時の共助・情報共有ネットワークの構築し、「小規模で地域密着型のメディアとの連携・協力が不可欠となる」と指摘されている。p238
福島中央テレビ放送本部副本部長報道制作局長が執筆している第7章では、水素爆発を遠く離れたアナログ固定カメラを維持してきたことだと経緯を紹介するとともに、放射能に対するスタッフの動揺と取材規制について触れ、「禍根が残った…私たちは県民を見捨てた。寄り添えなかったいう大きな負い目を負った」と苦悩を率直に語っている。


{12/15-1/15読了、記入は18}