読書録

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サービスはホテルに学べ

サービスはホテルに学べ (光文社新書)

サービスはホテルに学べ (光文社新書)

150年の歴史がある日本のホテルが培ってきたサービスの極意を、さまざまな事例やインタビューを通して明らかにしている。

キーワード的にまとめれば、「お客様第一p20」「お客様に喜んでいただきたいという気持ちが最も大切なことp116」「創造力と想像力の大切さp177」ということだろうか。

ホテルといえば、映画『プリティ・ウーマン』で、細部は思い出せないのだが、ジュリア・ロバーツを送り出す際に、ホテル車両係がルールと関係なくリムジンを用意した配慮だったか?に、いたく感動した覚えがある。突発的なことでも相手のことを思いやって規則を超えて柔軟に対応したことへの共感だったのだろうか。


出版した光文社のサイト⇒ http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334036058
{サイトポリシーに「連絡を」とあるが、どこに連絡したら良いかが同じページに記載がなく、ここに書くことでキャッチされると思われるので、連絡したことにしたいが…}


印象に残ったポイントや備忘録を以下に引用。
◇『サービス読本』{1936年(s11)大塚陽一 元裕社}p18〜で、p21(サービスの概念)「お客様第一」「心からなる親切」「公平であれ」「第一印象をよくせよ」「迅速と正確」「口論をするな」←今でも通用するというか、基本ではある。この読本で紹介されているという「お客さまの自家用車の車になったのだという考えで運転p22」するタクシー運転手が人気を集め、意識をお客様に向けることの大切さはその通りだろう。また、大塚が感銘をうけたというアメリカのホテル経営者エルズワース・スタットラーの言葉「人生とはサービスであるp47」

◇日本のおもてなしの心が評価される旅館文化の背景には、江戸時代、参詣を目的とした旅行者用に「講中(こうちゅう)定宿(じょうやど)」が生まれた。その先駆け「浪花講」は1804(文化元)に誕生、大阪の松屋源助がこの看板を掲げれば安心して泊まれると広がる。明治30年代に消えると、低料金で安心できる宿として、1920年(大正9年)京都に「法華倶楽部」を開いた。p33-34←いずれも関西が発祥の地ということか

◇日本最初のホテルは1860年(万延元年)横浜ホテルといわれるp30、日光金谷ホテルは、日光で宿がないのに困っていたヘボン博士に手を差し伸べ140年近く前に生まれるp36、1888(明治21)年に京都ホテル、1907年(明治40)年に金谷家の次男・正造が「富士屋ホテル」の婿養子となり箱根を押し上げていくp40←富士屋ホテルには、ホテルの歴史などを展示する部屋があったことを思い出す。+日光金谷ホテルは顧問に小山薫堂氏(『おくりびと』の脚本)を顧問に迎えて2003年にコンセプトルームを作るp139、奈良ホテルは2006年に本館客室の改装p155

◇お客様は人間的な触れ合いを望み、会話を欲しているp60ので、バーテンダーはまず新聞に目を通して会話のネタを探すということをしていたり、特別のカードを出すことで喜んでもらえたりする。

◇一歩踏み込んだ接遇のエピソードとして、ホテル客室係の小池幸子さん『帝国ホテル流 おもてなしの心』(2009年 朝日新聞出版)から、寝起きの悪い経営者を必死に起こそうとして「うるさい、ばばあ」と言われ、「もっと可愛い声で起こしましょうか」という対応p67-70には、思わず笑ってしまうというか、ユーモアがあって微笑ましい。

フォーシーズンズホテルでよく言われる言葉「私たちはお客さまのわがままのために働いています」p74実現してさしあげるため、私たちも楽しませていただくという意味で、無理な注文も手を尽くして実現させようという精神p74

◇p77:従業員を大事にすれば、従業員はお客を大切にする→窪山哲雄『サービス哲学』(2003年 オーエス出版)の「顧客満足のカギ、それは従業員満足にある」で「自分たちは愛されている」と具体的に分かってもらえる場の提供

◇ホテルラ・スイート神戸ハーバーランドの採用方針として、「『自分だったら、こういうことをしてみたい』というアイデアが出てくるかどうかp182」「経験の有無よりも、担当者がホテルの立場を捨てられるかどうかだと思います。本当にお客様の身になって共感し、一緒に考えられるかどうか…クレームの声を上げたお客さまの信頼を得ることができ、リピーターになってくださいますp182」


{10/8-12+15読了、記入は18}