読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

美酒一代

サントリーの創業者・鳥井信治郎の伝記で、赤玉ポートワインで成功し、日本初めてのウイスキー誕生に至る経緯が、よくわかる。顧客や取引先への細かな気配りとともに、先見的な宣伝への熱意が、具体的な逸話を通して知ることができた。


国立情報学研究所が行っているサービスのサイトに、大学図書館所属8件のリスト⇒ http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN15842924


セブンネットに、新潮文庫の復刻?版か2014年7月発刊分として、目次あり⇒ http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/isbn/9784101493015/subno/1


印象に残ったポイントなど以下に引用
◇p48:鳥井社長はときどき、どう考えても実行不可能なようなむずかしい命令を下すときがある。そんなとき抗弁するとカミナリが落ちる…p127〜128(「東京へ行ってくれ」「あそこへ手紙を出しといてくれ」としか言わず、用件は命じられたものが自分で考えないといけない。内容を問い返したら雷が落ちた。現在の仕事を完全に呑み込んでいたら、一言でわかるはずだという考え)

赤玉ポートワインのヌードポスター第一号(初めてから1年目の大正12年5月に出来上がる)は、ドイツの世界ポスター品評会で、一等に入選p55-56

◇p66:鳥井信治郎が社員に向かって口ぐせに言う言葉は、「まあ、そういわずにやってみなはれ」あるいは「やれるだけのことはやりなはれ」であった…p67:鳥井信治郎ほど新しい企画、新しい試みをよろこんだ人はなかった。宣伝部に力を入れたのもそのためだった。

大正12年10月1日の関東大震災から1か月後に本格的なウイスキー造りの冒険に踏み切ったが、当時はまるで夢のような計画で、佐治敬三現社長はいかに危険な計画だったかを、「洋酒に生き・洋酒に死す」(文藝春秋昭和37年7月号)の中で「全役員が反対だったという…よほどの度胸と執念が必要…」と述べていると紹介するp83

◇(ムーア博士から竹鶴政孝を紹介され)こんな青年がいることに感動してしまった。自分だけかと思ったら、世の中にはもう一人馬鹿がいたのかという思いである。p91

◇p92:鳥井信治郎は、この竹鶴を信用して、山崎工場の建設を任せた。当時、彼以外に本場の向上を見てきたものがいなかったもともあったが、二百万円を超える莫大な資金を投じ、寿屋の命運を賭けたこの工場の建設を、竹鶴に任せて一言も口出ししなかった信治郎の度胸は、やはり創業者らしく、太くたくましいところがあった。…大正13年4月に起工式…11月1日に竣工式(式に参加した広告担当者に広告紙型を土産に渡したが、競馬場に行ってしまった男が広告を逃したというエピソードが長く話題になった)

◇大蔵省主税局長の部屋で即興のきき酒コンクールが行われた際、鳥井信治郎は大きな鼻を押し込んで20数個の酒のうち外したのは2〜3種で、「おそるべき鼻だ。日本一です」と折り紙をつけ、鼻が有名になった。p105-106

◇p109:ブレンドに血のにじむような苦心をした…(死ぬまで続き、今日のサントリーウイスキーを育て上げた)
◇p111:百薬の長としての酒づくりを、自分の命としていた。酒は長寿の薬、寿薬だと信じ、寿屋の社名も、社運の発展を祈るとともに、実はその意味も含めていたのである。
サントリーは、赤玉ポートワインの赤玉(太陽=サンを象徴)を頭におき、下に自分の名前の鳥井(トリイ)を結び付けて命名 p114 
◇発売当時の「サントリーウイスキー白札」の広告p115「醒めよ人!舶来盲信の時代は去れり、酔わずや人、吾に国産至高の美酒 サントリーウヰスキーはあり!」p115

◇p116:不幸なことに、初代工場長・竹鶴政孝は、これらの新しい技術陣と相容れず、またブレンドについても、鳥井信治郎と意見の一致しないところがあり、後日、信治郎の始めた横浜のビール工場に移り、そのあと寿屋を去って北海道へ渡り、大日本果汁(ニッカウヰスキーの前進)を設立した

◇p144:鳥井信治郎は、商人である前に、いい製品をつくりたいという一念に燃えた職人であったのである。彼は品質の向上には、死ぬまで努力を惜しまなかった。自分の手で物をつくり出す人の夢と誇りが、彼の中には、いうtもあった。この信念のために鳥井信治郎は、寿屋の株式の公開を、死ぬまで許さなかった…株主の要求が強くなって…儲けに縛れるようになることをおそれたのである。


この本を読むと、『やってみなはれ』はビールを始めた時というより、その前から口ぐせだったように思える。それにしても、用件を言わずに出張を命じられたりしたら、今の時代だと困ってしまうだろう。先日、アップルと松下の創業者の共通点を探る本を読んだが、この個性的なリーダーシップは、企業や組織を成功させるには必要なのだろう。

{8/23-27読了、記入は9/1}