読書録

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キャラクター精神分析

キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人(双書Zero)

キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人(双書Zero)

テレビの討論などで拝見する著者の言説は、比較的分かりやすく、また、共感できるところも多々あるのだが、著作となると、どうも難しくなる。ラカンといった社会学的な素養がまずは必要だということだろうか。

とりあえずここまで。

結論的に象徴させるなら、p234の定義か?
キャラクターの定義。それは「同一性を伝達するもの」である。逆の言い方も成り立つ。同一性を伝達する存在は、すべてキャラクターである、とも。
関連して、人間とキャラの違いは、固有性と同一性の違い(p239〜)であり、キャラは、
・交代人格(DID)である。(←解離性同一性障害、多重人格 p44)
・父の名がない
・記述可能な存在である
潜在的な複数形である
・葛藤しない。
・成長・成熟しない。
・それぞれ一つの想像的身体を持つ。
・固有名と匿名の中間的存在である。
<同一性の起源:とは何か>
・イコン、シンボル、インデックスのいずれでもありうる
・「非世界的存在」である
・「文字」である。正確には、「文字の幽霊」である。
・意味=内面=図像の一致が見られる
・「キャラ立ち」はキャラの「ただ一つの特徴」に依存する
・(主体のような)欠如がない。
・換喩的存在である。
・同一性を担保するのは「名前」である
・名前以外の属性はかなり流動性が高い
<技法的に重要>
・キャラの造形を決定づけるのは「顔」であり「まなざし」である。
・キャラは感情と物語の認識を見る者に「強制する」
・キャラは「超平面的存在」である。
・キャラ人気を決定づけるのは、露出度と受容の文脈である。

このまとめを引用しても、読み進んでこなければ理解不能であろうと思う。後ろから他の引用
p217:キャラを成立せしめるのは、一つには物語性、一つにはジャンル性、さらに一つには過去の図像史をふまえた造形性
p207:ラカンによれば、人間のこころには、想像界象徴界現実界という三つの領域が存在する。
p193:「萌え」とは、虚構のキャラクターへと向けられた感情である。
p177:ツイッターというメディア自体が人をキャラ化する作用を持っている。この空間でキャラは人に近づき、人はキャラに近づき、ある意味中間に引き寄せられる作用があるとも考えられる。ex日本のbotはあらゆるものをキャラ化。
ブロントさん名言bot「確定的に明らか」「どちらかというと大反対」
エルシャダイそんな装備で大丈夫か」「大丈夫だ、問題ない
⇒「せんとくん」「初音ミク」「偽春菜
p126:(清流院流水のDID小説『コズミック』)「新本格世代」は、いわゆる新人類世代である。この信仰なき世代は、「すべては虚構に過ぎない」「この世界に意味はない」といった偽装された絶望のもとに、強固な「外部」あるいは「他者」への信仰を秘めている。彼らの信仰は神の絶対的不在をこそ信仰するという、まさに否定神学的な構造を持っている。
p105:『けいおん』を素材に、1960年代から2000年代にかけてアニメ画の変遷を示すパロディ作品

p84:宮本大人によるキャラクターの要素6項目
1 独自性 2 自立性・擬似的な実在性 3 可変性 4 多面性・複雑性 5 不透明性 6 内面の重層性

p76:人間くさいディズニーが隠喩的で、可愛いサンリオキャラが換喩的…隠喩は対象の抽象的な特徴に注目(狐のようにずる賢い)し、換喩は対象に隣接する事物に注目(医師を聴診器で示す)…シンボルとイコンの関係

p70:パースの記号学で3種類に分類⇒シンボル(ハトが平和を表す)、イコン(肖像画や宗教画)、インデックス(足跡のように対象と事実的に連結)

p62:「自我=身体」という短絡の問題は、近年加速度的に進行しつつある…社会全体が「解離」化にむかいつつあることとも無縁ではない。この傾向は、社会全体における操作主義化の傾向と深い関連性がある。
{6/4-10読了、記入は途中同日}