読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

ナショナリズムは悪なのか

新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか (NHK出版新書)

新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか (NHK出版新書)

国家についての現代思想を紹介しながら、ナショナリズムについての考察を進めていく。人文思想界におけるこれまでの批判に対して、体制批判的でリベラルな立場では、国内では格差が広がるグローバル化という時代状況にあわず、むしろ排外主義やファシズムに向かわさせないために、「ナショナリズムのなかにとどまってナショナリズムそのものを加工していく立場が必要」(p45、p210)と繰り返し主張している。そして、具体的には「ナショナルな経済政策や社会政策によって国内経済の崩壊を食い止めることが必要」としている。

現代の政治思想を俯瞰して見るには、引用がきちんと行われて便利だが、最後の段落に出てくる「暴力の後景化や権力の脱人格化」といった概念は、どうもよくわからないところがあった。国家という暴力装置を前提にする以上、そこをふまえて考えなければいけないと言っているようにも思うのだが、具体策が保護主義になってしまうことには、若干違和感がある。かつて学んだことがある、権力とは何か、支配の類型、など、いろいろ思い出した。著者がナショナリズムを肯定するのは、『基本的に、「国家は国民のために存在すべきであり、国民の生活を保障すべきである」と答えるところまでだ』という点については、価値中立的でその通りだとは思う、

・アーネスト・ゲルナーナショナリズムの定義:p26
ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である。

マックス・ウェーバーの国家の定義;p80
「国家とは、ある一定の領域の内部でー「この「領域」という点が特徴なのだがー正当な物理的暴力装置の独占を(実効的に)要求する人間共同体」

アントニオ・ネグリマイケル・ハートによる「マルチチュード」:p116
「多様な人間たちによって構成された群衆…現代のグローバル化した世界において新しい民主主義を担うのはー同一性に基づくネーションではなくー多様性にもとづくこのマルチチュードでなければならない+実現には対抗暴力の行使が不可欠」

ドゥルーズ=ガタリ国民国家(p168)
「そこで労働と資本が自由に循環している生産者集団」

ミシェル・フーコーによる「規律・訓練」(p182〜)
「規律・訓練における個人を服従強制の状態に保つのは、実は、たえず見られているという事態、つねに見られる可能性があるという事態である」


{5/12-14読了、記入は15}