読書録

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<脱・恋愛>論―「純愛」「モテ」を超えて (平凡社新書)

<脱・恋愛>論―「純愛」「モテ」を超えて (平凡社新書)

ちょっと不思議な本ではある。ロレンスといった様々な小説やゴフマンやジンメルら学者の言葉を引用しながら、恋愛論というより、他者と関わることの大切さを説いているように思う。モテようとすると世間や他者に合わせようとするため自分がなくなりかねない一方で、他者との相互作用の中でこそ喜びを感じることができる。大都市化によって、あまり周りのことに気遣いをしないことが自分を守ることになっている一方で、言葉だけでなく表情や立ち居振る舞いなど様々な要素が相互作用に影響を与え、そこを味わいながら喜びに変えていく、ということだろうか。引用されている松本正枝著「貞操の経済学」「恋愛の経済学」(1931年)は初めて知ったが、当時の女性の置かれた厳しい状況の中でも、「打算」ではなく、「恋愛」というどう感じるかに重きを置くべきとしたことを紹介しているのは、「利用可能性」でなく「共在可能性」へと結論を導いていこうという著者の思いが込められているように思う。

一方、ミラン・クンデラの「偽りのヒッチハイク」の引用など繰り返しでてくると、既視感というか堂々巡りをしているような印象を受ける面もあり、評価が難しい面もあった。最後の方も、同じ主題を少しづつ言葉を変えながら、著者の主張を展開しているところがあった。その主題とは、「(本書を大雑把にまとめるととして)頭脳から身体感覚へ、考えることから感じることへ、という流れになっている。身体感覚、感じることの大切さ(p214)」と著者は最後に書いているが、その前から引用。

p204:私たちは他者と共に行きている。ならば、その楽しさと喜びをもっと味わい、わかちあい、大切にしたい。無関心さや鈍感さゆえに私はどれほどその機会を取り逃がしていることだろう。もっと感覚を澄ませ、目の前の他者、その存在固有の豊かさに触れ、より深いコミュニケーションのスパイラルを築けたら、と願う。そして、近く接することがもたらす、「きわめて充実した幸運」を喜びとしたい。

p210:私の生は、身体を減点する「今ここ」の経験の積み重ねである。生きることは、「今ここ」を生きること、その連続ではないだろうか。そこに私たちは他者と共にある。本文中に紹介したゴフマンの言葉でいえば「共在」。二度とない奇跡のような今ここの共在を喜びとすること、それが他者と共に生きることの核ではないか。他者と共にいる「今ここ」を大切にしたい。日々の雑事に取紛れて、つい忘れがちになってしまうのだが。

{6/4ー9読了、記入は10}