読書録

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人間の覚悟

人間の覚悟 (新潮新書)

人間の覚悟 (新潮新書)

「しがみつかない」ような生き方を、仏教的な思想を背景に著者がわかりやすく語ってくれ、とても素直に読めた。
青春の門は、それこそ青春時代には読んだが最近は離れていて、この著者が親鸞に傾倒しているという印象を受けていた。

現代において格差が固定化し世襲化され、社会のあらゆる分野で躁から鬱への変換が起こる暗澹たる時代に、無理をすることなく、人のために役立つことをしながら生きてくこと自体の大切さを繰り返し語ってくれると、そういう生き方でもいいんだ、と妙に納得、安心させてくれる。

一神教ではなく、日本の伝統的な精霊信仰や神仏混淆などの良さを説明されると、中谷巌氏の著作との共通性も感じる。

また、著者が自分の中から決して消えることがない思いとして、戦争末期、ピョンヤンからの引き揚げ時に、他人を逃そうとした優しい心の持ち主は置き去りにされ、エゴイスティックに人を押しのけ走った人間が生き残ったことを「悪人」として意識しているというところ(p159)は、これまで知らず、著者の姿勢に親しみを覚えた。

本論とは関係ないのだが、直感でバカかと思っていても、一流大学卒だといわれると頭がいいのかと書き換え、最初の予感が消えて結局は失敗すると書かれているところが、逆に自分が最近そう思われているのではないかとふと感じてしまうところが、なんとなく悲しい・・・・まあどんなにみっともなくても、生き続けたいものだ。


(目次-引用)
序に代えて
p8:国に頼らない、という覚悟を決める必要があるのである。

第1章 時代を見すえる;
p23:まず「生きる」こと。どんなにみっともなくても、「生きつづけ」「存在する」こと。自ら命を捨てたり、他人の命をうばわないこと。・・「人間は、今こうして生きていることにこそ価値がある」、と、そう思いつづけているのです。
p56:つまり、「あきらめる」「明らかに究める」必要がある。そして、それを引き受ける覚悟が必要です。たとえそれがどれだけ憂鬱なものだとしても。

第2章 人生は憂鬱である;

第3章 下山の哲学を持つ;
p82:一方では同じ夢をもって頑張っても、世に出られない人が大勢いることを覚悟しなくてはなりません。
p89:個々のつながりの中で、それぞれの人は生きているのだと思います。
p93:人間の一生(古代インド哲学)学生期、家住期、林住期、遊行期(季節で言えば)青春、朱夏、白秋、玄冬
p95:50歳をすぎたら今一度人生をふりかえり、自分の生きたいように生きる、できれば自分のために働くのはやめて、無償でも人のためになることをする。それが林住期なのだと思います。・・競争や出世や富はあきらめ、紙くず一つ、タバコの吸殻一つ拾うだけでもいいから、人のために働くことが、良き林住期と遊行期をもたらすことになる。

第4章 日本人に洋魂は持てない;
p:日本人が心性の深いところで持っているもの、それがアニミズム(精霊信仰)とシンクレティズム(神仏混淆)の二つです。(一神教では持続できず)平和な世界をつくっていくうえで非常に貴重なことではないでしょうか。

第5章 他力の風にまかせること;
p129:自他一如(いちにょ)という知恵:自分は他であり、他は自分である、すべてはつながりの関係性のなかで存在しているのであって、自力も他力も最後は一緒なのだと考えます・・

第6章 老いとは熟成である;
p146:人の面倒を引き受けることなしに人は生きてはいけないし、自分一人の面倒だけ見て生きる人生などあり得ません。
p149:「子供叱るな、昨日の自分。明日の自分」といいます。そういう俗な諺の中にも、実は人間は一体であるという意味が込められています。

最終章 人間の覚悟
p176:これからの時代、自分でできる覚悟の一つとして言えば、できることは一つ一つ自分でやる、ということではないでしょうか。
p186:存在する、生存していくこと自体に意味があるのだ、と。
p194:人が生きることには壮大な営みがある。ブッダが「天上天下唯我独尊」と言ったように、自分はだれも代わることができないたった一人の存在だから尊いのです。・・生きることの大切さと儚さを胸に、この一日一日を感謝して生きていくしかない。そう覚悟しているのです。

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