読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

ジャーナリズムの陥し穴

テレビを最大限活用したジャーナリストとして田原総一朗の考え方の変遷やバックボーン、そして生き様がわかる一方で、政権中枢にアドバイスをしていた距離感というのが伺えた。本人は、宮沢元総理など時の権力者をテレビの発言で追い込んだことで逆に、単なる破壊ではダメだと気づいて創造していくことに関わることの釈明をしているような印象を受けた。ただ、戦前〜戦後、価値観が一変し、また学生運動にも関わった当事者が体験に基づき真実を追及していく姿勢、年齢には関係なく、ツイッターも駆使しながら情報発信を続ける有り様というのは、率直にすごいと思う。

p12:常識を疑い、自分の目で見て、自分で考える。ときにこてんぱんに叩かれることもあるが、ジャーナリストとしてこの基本姿勢だけは、崩したことがない。

p14:(戦前と前後で)価値観が180度変わった。…偉い人が大きな声で言うことは信頼できないなあと思うようになった。これが、いわば私の原点である。

p18:マスコミが流す情報、あるいは世の中で常識とされていることがすべて正しいわけではない。というのは昔も今も変わっていない。そこで大切になってくるのは、常識を疑い、自分の頭で考える力を身につけること。流れてくる情報を受け身になって何でも飲み込むのではなく、自分で選択することだ。

・打ち切られず別の番組にもならない生存視聴率は7%台
・1870年(明治3年)に初めての日刊新聞として横浜毎日新聞仮名垣魯文
・1918年(大正7年)に最悪の筆禍事件「白紅事件」大阪朝日
・5・15事件から2・26事件で郡部による言論弾圧進む
プレスコード「大東亜戦争」「大東亜共栄圏」禁止、後遺症残る

p84:なぜ戦争万歳と書いたのか。…占領軍の「検閲」に甘んじていたのはなぜなのか。総括できないのではなくて、しないのだ。…「アメリカによって骨抜きにされた」…間違いではないがそれ以上に、戦後の日本人は損得で物事を判断するようになってしまったことが多いいのではないかと思う。

テレビ東京開局特番で、安部公房に依頼、コンピューターが人間に死刑を言い渡すというドラマ、「こんばんは。21世紀」

・1965年にソ連へ行き、言論の自由表現の自由もないことを知る

p103:私自身も、アナーキー無政府主義になっていた。…(ソ連はダメ、国家は危険な存在だと骨身にしみ)社会主義共産主義に対して否定的でありながら、かといって体制的にはなれないのであるなら、アナーキストになるしかなかった。多くの全共闘の学生たちも…主義というものを持ち合わせず、とにかく破壊に走るのである。

田中角栄元総理は、新聞とテレビを一本化させる発想でコントロール

・検察は正義という思い込みを変える必要。ロッキード事件リクルート事件小沢一郎関連、いずれも取材で冤罪だと考える

★p130:それまでの日本人が言ってきた「平和」とは、つまり「安全保障を考えないこと」であった。…日本人は自由を主張するが、自由の裏にある責任を考えてこなかった。そして、民主主義というのは国家がなければ成立せず、国家とは何かを考えなければいけないのだが、日本人はそれまで国家について考えることを避けてきた。太平洋戦争で負けた歴史が、「国家は悪だ」というイメージを生み出していたからだ。しかし、湾岸戦争以降、日本人もこれらのことを考えなければいけなくなった。

p155:日本には四つの柱があるとの考えに至った。一つは「平和」。平和のための安全保障を考えなければいけない。二つめは「自由」。自由はとても大切だ。しかし自由のバックには責任がなければいけない。三つめは「平等」。平等というのは機会の平等であって、競争の自由は存在しなければいけない。競争のない平等はスターリン時代のソ連ヒトラーナチスと同じである。そして四つめは、「民主主義」だ。民主主義というのは国があって初めて成立する。つまり民主主義を考えるときには、同時に国家も考えなければならないのだ。

p160:日本は島国であることもあって、情報戦略というものが非常に稚拙で、弱い。…我々が太平洋戦争から学ばなければならないのは、それが侵略戦争かどうかではなく、なぜ日本が孤立したのか。なぜ負ける戦争に突入していったのか、である。村山談話に対する私の思いは以上のとおりである。

p172:宮澤首相、その前に事実上海部首相を失脚に追い込み、私の中で困惑が生じた。私は三分の一はアナーキストであった。しかし、三分の二は、この国をふたたび戦前のようなものいえぬ国にしてはならない、言論、表現の自由を守らなければならないと考えていた。それに対して、政治権力というものは、基本的に国民を管理し、権力者の思いを遮られることなく通したいと考えている。…叩けば叩くほど国政は良くなるものだと思っていたのである。…激しく叩くと、…権力者が失脚してしまう。つまり、国家権力側に政策、発想などがないのだとわかったのだ。…そこで国政を批判、非難するのは、代案を持たねばならない。批判だけでなく提案も必要だと考えざるを得なくなったのである。その意味で橋本首相以降、私の姿勢は変わり始めたといえる。

p174:ジャーナリストトとしての私が考える信頼関係のあり方は、「ギブアンドテイク」である。…相手にとって、私との関係がある種有効だと思ってもらうことで、初めて信頼関係というものができ上がる。そのための第一歩として、まず相手のことを知ろうとする努力が大切だ。
・小泉氏総裁選出馬で中川秀直氏にアドバイス
竹中平蔵氏の郵政改革大臣就任でアドバイス
・安倍元総理の訪中やサミットでアドバイス

p213:バブルがはじけてから、マスコミ自身も、自分の頭で考え、自分で判断することをしなくなった。要するに不勉強なのだ。…一番チェンジすべきは、マスコミ自身なのだ。

p218:(コンプライアンス重視の中で)批判を受けやすい面倒な番組はやめようという流れが決定的になっている。これではジャーナリズムの存在理由がなくなってしまうのではないか。東日本大震災は日本の危機だが、同時にジャーナリズムの危機でもある。


{3/27-30読了、4/1記入}