読書録

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のジャーナリズム 林 香里/著 岩波書店 

〈オンナ・コドモ〉のジャーナリズム――ケアの倫理とともに

〈オンナ・コドモ〉のジャーナリズム――ケアの倫理とともに

 ネットなど相互交流的な情報空間が活発化する一方、衰退が顕著なマスメディア。本書では、対権力というより、表題にある層の視点を反映した「ケアの倫理」を軸に考えていくべきではないかと提起している。政治学社会学的な研究で理論的に考察をすすめつつ、既存メディアに対してさまざまな提言を試みているともいえる。


 本書が発刊されたのは、震災と同じ年の1月27日で、ちょうどこの読書録を書いている際に、まる東日本大震災7年の午後2時46分を迎え、テレビでは追悼式の中継が流れ、あわせて黙祷した。本書で定義づけを含め議論されている“公共性”など、著者の最新作でもその後の考察の展開が図られていた。
 その公共性については、今年発表されたNHKの経営計画2018-2020で、公共的価値として6つがあげられている( https://www.nhk.or.jp/pr/keiei/plan/pdf/2018-2020_keikaku.pdf )が、暮らしやすい社会の実現など、ケアの倫理に通じるところもあるような気がする。


発刊した岩波書店のサイト⇒ https://www.iwanami.co.jp/book/b262484.html


 いくつかポイントを引用しながらメモ
◇オトコのジャーナリズムで言論・表現の自由という権利が近代自由主義と民主主義の核心的理念だったが、「社会とそのほかの部分との関係性を構築することに消極的意味合いを与えてしまったことにも注意したいp2」
+記者としての人生は会社のものとなり、ジャーナリストとして働くことは家庭を顧みない企業戦士となることを意味するという事態を生んだp7
+客観公正中立のジャーナリズムという規範的イメージや役割が複雑化する現実を消化しきれず…つまらない、無責任という批判にp8
+ジャーナリズムと「言論の自由」と民主的社会の三つをつなげるためには、そのほかの多くの社会的工夫と手続き、そして了解と実践が必要であろう…言論・表現の分野で複眼的価値観を持たないかぎりは…一歩も進めることはできない。p15


◇社会で助けを必要としているマイノリティたちや絶対的弱者たちに対して優先的に声を与える義務を負っている…メディア側が時として「公正さ」や「中立」を越えて「偏向」することを求められる局面があるp60
+「偏向報道」とか「アドボカシー(意見)・ジャーナリズム」というプロにしての未熟さとみなされるレッテルをいかに引き剥がして仕事に取り組んでいくことができるか…「ケアの倫理」の問題意識が要求する能力ーたとえばコミュニティとの豊かなつながりや、見知らぬ相手の主観的痛みに辛抱強く耳を澄まし、それを思いやる心などp136


現代社会の流動性や多様性を考えれば、女性や外国人を含めた多様な人材を積極的に登用し、柔軟な働きやすい環境を整えてこそ、今日的な意味での社会との連帯というコトバが生きるに違いない。p218
+社会の側との連帯という発想のないシステムは、社会において孤立し、無用の長物と化していくだろうp223


 従来のオトコ社会からは見いだせない発想・視点かも知れないが、働き方改革が大きなテーマになるいま、こうした視点から見つめ直す必要は確かにあるのかも知れない。


{2018/3/2_3読了、記入は11日曜}