読書録

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テレビ報道記者

テレビ報道記者

テレビ報道記者

 日テレでキャスターも務める著者が、新人時代から初の女性警視庁キャップを経て今にいたるまでの失敗談や成功など、ここまで書いて大丈夫かというぐらい率直に書いている。NHK女性記者の過労死をめぐる問題が報道されているが、ニュースの現場の厳しさが、本著からも伝わってくる。


発刊したWACのサイト→ http://web-wac.co.jp/book/tankoubon/1164

ダ・ヴィンチニュースに紹介記事あり→ https://ddnavi.com/news/352866/a/


 著者は早大政経政治学科で学び、寡黙な小沢一郎議員から本音を引き出したいとテレビ局の政治部記者をめざして、第一志望はTBSとテレ朝だったが面接であわず、読売テレビも最終面接までいった・・・など入社の経緯も細かい。

 1995年に1か月の研修で5月から配属、オウム真理教の張り番で19時から朝7時まで担当したが風邪をひき、まだ仮採用で有給休暇がないと夏休みを前借して休みp13ながらも、10月にNHKの記者が数が多いことに気づいて本社に連絡したことが、日テレの上祐逮捕へというスクープが、記者としての自信の一歩になったというp19

 翌1996年に警視庁クラブの一員になり、鑑識幹部の自宅に夜回りに行ったら「単身赴任だから女は来るな」と怒られるなど、3か月は泣いて暮らしたといっていいほどだったとのことp10。1998年からは国税担当になり、日本酒を飲みすぎて泡を吹いて倒れた?こともある中、セクハラで権力抗争に使われそうになるなど「空気が合わなかった」「本当に嫌な気分になった」など、本音を吐露している。
 入社5年でマイプラン研修制度に応募したら採用され、報道局側があわてて半年の3か月だけ休むことを認めたなど、なんともバイタリティに富んだ話も登場するp53。生放送の中継でモバイルパソコンで原稿を読もうとしたら電源が落ちて15秒ぐらい「エッツ」という音声が続いたといのは、なかなか。
 
 國松長官狙撃事件をめぐるニュース速報のくだりp72は、著者の取材力と関係先との信頼関係の築き方など、これは他社だと大変だったと思う。結婚してディレクター業務にもついた翌年の2006年には、キー局では初めての女性の警視庁クラブのキャップになり、御用始めの日には着物であいさつ回りをしていたという。“新聞よりテレビが強いと言われることが少なくない”p107なかで、週刊誌に「アマゾネス軍団」と書かれたり、長官狙撃事件スクープのあとには、警察幹部とできているなど怪文書も流れたことなども紹介しているp111。またキャップの時は「事件報道で一番になる」という明確な目標があり、スクープだけでなく「早く」「正確で」「内容も濃く」「わかりやすく」「きちんと検証する」という、いずれの面でも一番になるp153、という表現は、確かにわかりやすい。

 2009年からは社会部デスクとして、夕方のニュース番組にコメンテーターとしても出演するようになり、それまでの仕事で培ってきた検察や弁護士の人脈を使って裏を取りながら、的を得た批判を自信を持って話せるよう準備していたというp120。
 また社会部で感じたのは、記者の仕事は地味で無駄な作業が多いけれど、早く正確なニュースを多くの人たちに伝え、世の中に役立つ情報を提供しているという自負とやりがい、その上にスクープの喜び+自分が報じた内容で関係者に感謝された時も記者冥利につきるp172→警察とメディアは「社会正義の実現」が目指す所で一緒なのに、お互い今一つわかっていないため、信頼関係がつくれない。信頼関係は人が仕事をする上で何よりも大事なものではないかp175と、仕事のやりがい、意義などについて書いているが、これもとても的確だと感じた。
 そして最後に、2010年に防災ヘリ墜落現場検証のため取材に入った記者とカメラマンが亡くなったことに触れ、「どこよりも命を大切にした優しい報道ができる、やり続けなければならない、そんな自負と使命感を持っています」p177と語っている。とても刺さる部分が多く、引用も多くなってしまったが、ご容赦いただければ幸いです。

  
{2017/11/29-12/1読了、記入は12/2土曜夜}