読書録

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沖縄の島守 内務官僚かく戦えり

 日経新聞の「リーダーの本棚」(2017年1月8日)で、鳥取県知事の平井伸治氏が、座右の書として紹介したので、11年前に発刊された文庫だったため、図書館で予約して借りる。

 沖縄にいたことがあるが、離れてかなりたち、こういう話があったことは、正直、よく知らなかった。第一章に登場する 、1990年に退職し、95年から壕を探して、県庁・警察部壕を再発見した知念堅亀氏のことなど、著者は沖縄や戦争にこだわり、関係者によく取材してドキュメンタリーを紡いでいる。

 "はじめに”では、「県民の安全を願いながら、県民に戦争への協力を求めなければならない二律背反に苦しみつつ、自らの使命に徹して職に殉した県首脳や職員の姿p4」があまり描かれなかったテーマだとまず指摘する。そして、兵庫県出身の沖縄県知事・島田叡牧民官(享年43歳)と、栃木県出身の沖縄県警察部長・荒井退造護民官(享年44歳)の二人の文官を中心を描いていく。自らの安全のため沖縄から離れていったI知事やB内政部長がいる中で、どんなに困難な生き方だったのか、何度も心を打たれるところがあった。


発刊した中央公論新社のサイト⇒ http://www.chuko.co.jp/bunko/2006/07/204714.html


 関連本として、(039)10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡
(ポプラ新書) 新書 – 2014/8/1 TBSテレビ報道局『生きろ』取材班 (著)

(039)10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡 (ポプラ新書)

(039)10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡 (ポプラ新書)


 備忘録としていくつかポイントを引用
◇島田夫人は、沖縄戦で亡くなられた方多くの沖縄県民の方々のことを考えると、遠慮すべきとして、取材を受けなかったというp139
◇島田氏知事は「愛される警察官になれ、市民の幸福のために行き過ぎた杓子定規やセクト主義はなくせ」と訓示したとのことで、本省からにらまれ、東京勤務は一度もなかった.神戸二中、三高、東大時代は野球の名選手p148
◇「島田知事が入手した台湾米は沖縄には届かなかった」という通説で、1962年ラジオ第1で流したドラマ「阿旦(あだん)の島」が流れて関係者が間違いに気付く。手記を出し、届いていたと真実が明らかになったのは、1998年(平成10年)と輸送から53年後。
◇島田知事と荒井警察部長が、県民の献身的な姿を内務省に報告しようとしたが手段がなく、情報交換をしていた海軍の太田司令官の「沖縄県民斯ク戦ヘリ」につながったとし、p425に全文が掲載されている。
◇第15章「最後の県庁・轟の森」では、友軍と思っていた旧陸軍が、壕から住民を追い出したり、殺傷したりした証言がいくつか紹介され、著者は「何百人もの避難民を死に追いやった大塚曹長日本兵の一団」(p444)と表現し、「残念ながらこれが一部日本兵の実態であり、県民の側から見た沖縄戦の一面の真実だったのである」という点については、戦争は決して美化されてはいけないのだということを改めて考える。
◇第16章に引用された真栄平地区の実態、902人中、553人が戦没(61.3%)、生き残ったのは349人ということについても、改めてメモ。「南北の塔」は、北海道出身者が多く何度かエピソードとして取り上げられてきたという記憶が残っている。

 このところ、大阪の学校法人「森友学園」が、4月開校を計画していた小学校の認可申請を取り下げたが、認可や土地取引をめぐる不可解な経緯が、連日メディアに取り上げられている。築地の豊洲移転の問題も、何があったのか、都議会の百条委員会で調査が始まったが、よくわからないことが多い。本著を読んで、文官の生き方、ありようについて、考えさせられた。

{2017/2/12-3/12読了、記入も同日}