読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

執着 生きづらさの正体

執着 生きづらさの正体

執着 生きづらさの正体


ストーカー的な事件がワイドショーを賑わせたこの1年だったが、本著は生きづらさから解放されるためには、執着にとらわれないことだと、その具体的な処方箋についても紹介している。


森田療法で知られる森田正馬(まさたけ)氏の「あるがまま」を受け入れることを引用しつつ、心の土台を作る3つのポイントとして、以下をあげている。
1)自分で自分にからい点はつけない 「このたいへんな時代、社会の中で、私は自分なりに十分、がんばっているp213」
2)自分以外の人や社会に目を向ける 「たくさんの人がいろいろな生活を営んでいるp214」
3)あわてない


その上で、最近注目されている「マインドフルネス心理療法」(認知のとらわれからの解放をめざし、一瞬一瞬に注意を向け/受け入れ/評価はしない)が、ブッダの時代の「ヴィパッサナー瞑想」をそのまま利用したものとして、2つのステップで構成されると紹介する。
1)呼吸のトレーニング 息を吸い込む、吐くを強く意識しながら続ける p217
2)開放のトレーニング 気持ちを完全にオープンにして、気が散った先に気づいてあげること p220


この療法の実習が、グーグルやフェイスブックの新人社員研修で取り入れられているとし、『サーチ!富と幸福を高める自己探索メソッド』(グーグル人材育成担当のチャディー・メン・タン著)から、気が散った際の対処として4つのステップを紹介するp222
1)認める
2)評価や判断も反応もせずに経験する
3)反応する必要があっても、マインドフルネスは保ち続ける
4)放してやる
⇒目的は評価や判断を消すこと=「ただ感じる。ただ思い出す。ただ見る。ただ聞く」トレーニングp224


出版した集英社のサイト(目次あり)⇒ http://www.shueisha-cr.co.jp/CGI/book/detail.cgi/0767/


本著では、さまざまな執着について触れているが、その第10章、亡くなった人への思慕・喪失感については、著者自らが父を亡くしてから接した『悲しみの中にいる あなたへの処方箋』(垣添忠生著 新潮社 2011)で、「我慢や遠慮をせず、おおいに涙を流すこと」p189の効用などを説いていたと紹介する。そして「喪の作業」プロセスを、フロイトの流れをくむボウルビーの分類をさらに著者の解釈を含め4つのステップとして、1)否認⇒2)抑うつや怒り⇒3)和解と離脱⇒4)受容と再建 p192だとする。この点については、あえてキューブラー・ロスの「悲劇の五段階」{否認→怒り→取引→抑鬱→受容}を引用しないのは、精神科医としての学術的な立場からだろうか、などと思ったりする。改めてこの読書録で悲劇の五段階について触れた内容を検索してみると、9冊もあった。


ほかにも、立場や家族、モノへの執着など、さまざまな形が登場するが、自分自身としていまは、「ため込み症」に対して、年末の大掃除の時期になんとかしたいものではある。

また、ストーカーをめぐる論考の中で、映画「クレイジー・ラブ」が紹介され、ストーカーの被害で視力を失った女性が、刑期を終えた相手と結ばれるストーリーとのこと。人間の不思議さと普遍的な純愛物語ではないと授業で伝えているとのことだが、映画「卒業」も結果が良ければストーカーではないと言えるかどうか、確かに微妙な問題ではある。
 
あわせて、SNSが幸せを演出する舞台として、自己愛への執着を増幅している側面や、ネットで「エゴサーチ」して罵詈雑言が並べられていても、パターンがわかれば気にならないことなど指摘しつつ、ヘイトスピーチの背景について分析を加えている。

「ひとつの見方に粘着・執着することは、社会のためにも自分のためにもならない。私はそう思っているp166」というのは、その通りだろうと共感する。


{12/16-20読了、記入は27}