読書録

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集合知とは何か (中公新書)

『二十一世紀には、専門知のみならず一般の人々の多様な「主観知」が、互いに相対的な位置をたもって交流しつつ、ネットを介して一種のゆるやかな社会的秩序を形成していくのではないだろうか…望ましいあり方…なぜなら、個々の血のにじむような体験からなる、くり返せない主観的世界こそ、生命体である人間にとって大切なものだからだp216』ということが、コンピュータやサイバネティクスを研究してきた著者が、情報学者としてたどりついた結論だとあとがきに記している。


出版した中央公論新社のサイト→ http://www.chuko.co.jp/shinsho/2013/02/102203.html


福島第一原発事故をきっかけに専門知への不信が広がった背景に、著者は、学問研究への無制限な市場原理の導入と過度の専門分化によって制度疲労を起こしていると指摘しつつも、ネットの集合知によってすべてが解決すると思うのは間違いで、選挙で代表を選ぶ難しさの「アローの定理」など引用しながら、警鐘を鳴らす。コンピュータの研究開発の歴史にも触れながら、いまは人工知能ともいえるAIから人間の知力を高めるためのIAへというのがIT利用の潮流なのだともいう。さらには、クオリアという心と脳の間の「主観」の大切さに触れ、「オートポィエティック・システム=APS」p105やこれを階層的にとらえる「階層的自立コミュニケーション・システム=HACS」p106、「システム環境ハイブリッド=SEHS」p128、などの考え方を紹介・提示する。ただ、このあたりの概念になると、どこまで自分で把握できているか、正直こころもとない。


なお、具体的に紹介されている本が、興味深い。
◇『「みんなの意見」は案外正しい』ジェームズ・スロウィッキー2004年→これについて著者は「集合知定理」(ペイジの用語では多様性予測原理)として、「集団誤差=平均個人誤差ー分散値」p37を紹介し、多様性があれば説明できることが大半だという。
◇『魂と体、脳ー計算機とドゥルーズで考える心身問題』西川アサキ→著者はネット集合知のモデルとして活用し、「開放」と「閉鎖」システムでの信用度やリーダー出現のシュミレーションの結果から、「人間が自律性を失って開放システムに近づくと、社会がいわば透明になりすぎ、外部環境の変動にともなって、絶対的リーダーへの一極集中/多極化/完全な無秩序」といった諸状態のあいだをぐるぐる彷徨することになりやすいp176」という。透明な情報伝達をする場合、多様性に基づく知が生まれず、不安定になる、また「フラットで透明な社会、つまり、情報が損側に伝わりすぎる社会で、質疑応答による議論をしていると、かえって社会は安定しなくなり、適切な秩序ができにくくなるp207」というのは、これまで普通に考えられてきたのとは逆の知見で、そういう面もあるのかと気づかされた。
◇IT活用として日立製作所中央研究所の「ビジネス顕微鏡」で、対面で対話のあったメンバーを調べた結果(初田賢司・矢野和男『コミュニケーションを測る化ー会話の時間と相手測りボトルネックを特定する』)p185〜というのも、孤立や特定の人など分析して解決したというのは面白い。


「人間集団のなかに、ある種の不透明性や閉鎖性があるからこそ、われわれは生きていけるのである。…相対的な主観世界の併存をゆるしながら、同時に、集団内でほどほど安定した統合性やリーダーシップをみとめること。ただし、必要におうじて、リーダーを交代させること。−それは千変万化する環境条件のなかで集団生活をつづけてきた、われわれ人間という生物の究極の知恵なのである」p208という言葉を聞くと、なにかほっとするところもある。


ICTは進化をし続けており、いったいどこへ向かっていくのか、示唆に富む内容だった。ただ、どこまで理解できたか、「知」の世界は深い・・


{2/14-16読了、記入は22}