読書録

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ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図

ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図

ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図

日本ジャーナリスト(JCJ)会議大賞や、石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞、文化庁芸術祭大賞などを受賞した評価の高いTV番組の制作過程について取材者が紹介した本。国の労働安全衛生総合研究所を退職して調査にあたった木村真三博士や、可搬できる小型の放射能測定装置を自ら開発していた岡野眞治博士など、こういう人たちがいて、番組は成り立ったんだろうと感じる。


一方で取材にあたった著者たちは、組織との関係で、取材・放送が困難だったことを明らかにする。ETV特集『戦争とラジオ』での取材経験から、当時の当事者たちが、大本営発表を信じていないものの口にすれば北の果てに転勤させられる恐れがあるからと、「自主規制とは、つまるところ一人一人の心のうちにある」(p68)という。また、七沢潔放送文化研究所主任研究員は、国内原発問題を扱った翌年に二度転勤させられ、七年前に研究所に異動となって、天職と思っていた番組制作ができなくなったことは堪えたとしながらも、「テレビと原子力」という論文を書いてライフワークをつないできたという。(p26)


取材班は、禁じられていた原発から30キロ圏内、2.4キロの地点で取材に入り、「政府の意に従って、というのがその理由だった。だが、私たちには納得できるものではなかった」(p68)、「目の前にある被災地の現実と、電話の向こうの組織としての建て前。その落差に、眩暈を覚えた」(p102)と綴っていく。さらに、「ネットワーク」という言葉には、「原発事故後、政府と一体化したかのように発表ジャーナリズムに退化したテレビや新聞とは一線を画し、市民の目線に近い、足でかせぐ取材番組をつくるという「宣言」が隠されていた」(p120)とも紹介している。そして、局の取材規制を越えて行動したことが発覚してから局内で大バッシングされ、放送の先行きすら危ぶまれる苦境に陥ったが、その状況を打開したのは、メールやツイッターなどインターネット上を駆け巡った「情報」で、「こうしたネットを媒体として自ら発信し、情報を伝え合う視聴者の行動が、取材規制を作った幹部や、必ずしも番組内容を良しとしない内部からの異論を封じ込んだ格好になった」(p283)という。


ここまで本著で記したのは、「有事になると、組織に生きる人々が思考停止となり間違いを犯すことも含めて描かなければ、後世に残す3.11後の記録とはならないと考えたのである」(p284)と、七沢氏は、「あとがき」に代えての中で触れている。


{12/12-22読了、記入は28}