読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

人生の意味とは何か (フィギュール彩)

人生の意味とは何か (フィギュール彩)

人生の意味とは何か (フィギュール彩)

「意味」という言葉の基本から、著名な哲学者たちの論説を紹介している前半は、そもそも哲学的に理解が難しいところがあるが、終盤では、「愛」や「幸福」がキーワードとして登場し、ほっとするというか、共感できた。ポストモダンの難解さに比べると、ある意味、わかりやすいとも言えようか。

訳者のあとがきで、ヒルティ、アラン、ラッセルの幸福論と比較しながらまとめてくれているのもわかりやすかった。(p172-175)記憶の彼方にありながら思い起こし、そういうことだったのかと妙に納得する。すなわち、ヒルティは「神と共にある限り地上的なものはどうでもいい」ので、信仰、働くこと、地上を重要視しないという3つが幸福の条件という。アランも労働や仕事が幸福の源としつつ、情念を制御し自分の幸福を欲して他者を幸福を与えることという。ラッセルは不幸を排して幸福への道を示す処方箋で、「熱意、愛情、家庭、仕事、非個人的な趣味、努力とあきらめ」などが幸福をもたらすとし、自分の情熱を外へ向けよという。

そして本著では、幸福の定義も処方箋もないが、「ひとりで生きられない限り、いかに他者とともに生きるか」が重要なテーマであることが共通しつつ、人間個々の心の問題というより、社会の問題であると語っているとする。さらに根底にはアリストテレスの幸福は善という思想があり、「善き人々の幸福、社会的実践による以外にない」という。

様々な経験をして、「人の役に立つこと」が生きがいなのかという思いを強くしている昨今、冒頭に書いたように、ほっとできたのかも知れない。


本著の目次などについては、出版した彩流社のサイトへのリンク⇒
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-7001-0.html
サイトを見つけ、千葉との関わりが深い本を結構出していることに気づく。


なお、印象に残ったポイントや言葉について以下、引用する。
◇p133:(人生の意味の候補には、権力、愛、名誉、真理、快楽、自由、理性、自律…自己犠牲…最大多数の最大幸福…世俗的成功、仲間の賞賛などさまざまあるが)大半の人々にとって、必ずしも理論上でなくても実際問題として、★伴侶や子どもたちのようないちばん身近な人間関係によって、人生は意味深いものとなる★のである。
◇p142:人生の意味はある問題に対する解答ではなく、ある生き方で人生を生きるという問題である。それは形而上学的なものではなく、倫理的なものだ。
◇p146:我々がこれまで愛と呼んできたものは、我々の個人の充足の追及を我々が社会的動物である事実と調整することができるような方法なのである。というのは、★愛とは、人が他者のためにその他者が開花できる空間を創り出し、同時に他者が自分のために同じようなことをするということ意味する★のだから。それぞれの自己充足はそれぞれの他者の自己充足のための基盤になる。我々がこのように★自己の特質を実現したときに、我々は最高に輝くことになる★。…対等な者どうしの間を除いて真の相互依存関係はありえないのであるから…
◇p147:私が今ここで提示した理論に基づいて言えば、「人生の意味」という関心事におけるもっとも強力な候補ー愛と幸せーは、究極的には相反するものではない。もし幸せとはアリストテレス的用語で、我々の諸力自由な開花であるとすれば、あるいはまた、愛が最高の幸せをもたらす相互依存的行為だとすれば、この両者間には決定的な対立はあり得ない。★思いやりの気持ちを持って他者と公正に関わることが、大所高所から見て、人の繁栄をもたらす条件の一つだと仮定すれば、幸せと道徳が反目しあうこともない。
◇p151:★どんな重要な問題もほとんどかたをつけられたことはないというのが現代の特徴★である。…現代とは、どんなに本質的で基本的な問題であっても、それについての意見の一致を見ることができないことを我々が認識するようになった時代なのだ。我々が人生の意味をめぐって論争を続けることは、実りある建設的なものであることは間違いない。しかし、我々が圧倒的な危機のなかで生きているこの世界において、我々が共通の意味を見出し得ないということは、励みになると同時にまた憂慮すべきことでもあるのである。


{11/1-2読了、同日記入}