読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

憚りながら

憚(はばか)りながら

憚(はばか)りながら

後藤組組長の著者が語った戦後史の一面は、政財界や芸能界、創価学会野村秋介氏との関わりなど、なかなか凄まじいものがある。

最近の反社会的勢力として暴力団を放擲する動きが広がっている中で、著者が言うように、いわば必要悪としてこうした勢力の存在意義があるのかどうか、タバコと同じようなものかとも思いつつ悩ましいところがあるようにも感じる。

また、任侠道で生き抜いてきた著者の言葉には、パワフルな時代への憧憬と自民・小泉批判など、おそらく一般感覚に近いところもあるようだ。

p148:マスコミってのは、人を傷つける仕事なんだ。サツでもないのに、人を追い詰めて、追い詰めて最後には命まで取っちゃうんだからな。

p179:負けが込んできた時に、どこで我慢して止めることができるかが勝負の分かれ道なんだよ。取り戻そうとすると必ず負ける。簡単な論理だ。

p199:皆、小泉に一瞬期待したものの、実はこれがとんでもない勘違い野郎で、逆に弱肉強食になって、国民に「痛み」ばっかり押し付けて(日本を)ボロボロにしちゃったんだ。

p296:(ヤクザは社会から抹殺という風潮に)抹殺していいと考えるのは、はっきり言って「ファシズム」と同じだ。そんな社会はとても嫌な、誰にとっても住みにくい社会になると思うんだがな。

p317:残りの人生は、得度で授かった「一隅を照らす」という新たな掟に従い、お国のためにも陰ながら働かせていただくよ。(・・在野の一僧侶として・・)

また、この本の中で、家族3人でハワイ旅行をする話しが出てくるのだが、アメリカの入管係官が、本来は滞在を認めてはいけないのに保証人になって、出所後の家族サービスとして1週間だけ認めたというエピソードが出てくるのだが、映画プリティ・ウーマンのホテルマンに対するような嬉しい思いを覚えたのが、これはそれだけ規則で縛られた窮屈な社会で生きているということなのだろうか?

反社会的勢力を許してはいけないという大義を覚えながらも、相矛盾する感情が湧いてくることを、否定は出来ない。

{記入は9/25}