- 作者: 重松清
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/12/15
- メディア: 単行本
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中学二年生で<いけにえ自殺>した藤井俊介=フジジュンの残した遺書に名前のあった4人の人生と遺族(あのひと=父親)の関わりを描き、十字架を背負うことの重さを考えさせられる。
遺書の内容は、
真田裕様。親友になってくれてありがとう。ユウちゃんの幸せな人生を祈っています
三島武大。根本晋哉。永遠にゆるさない。呪ってやる。地獄に落ちろ
中川小百合さん。迷惑をおかけして、ごめんなさい。誕生日おめでとうございます。幸せになってください
ユウちゃんの語りとして物語は進んでいくが、親友ではなかったのに親友と書かれ、またいじめを止めることができなかったことで心に重荷を負う。こういう経験がなかったかと自分に問えば、全くなかったとはいえないような気がする。いけにえのような存在、それを傍観するしかなかったこと。
また本著p262で出てくる、神戸のニュータウンでの連続殺傷事件(1997)、京都の小学二年生児童刺殺事件(1999)、大阪の小学校での無差別殺人(2001)は、いずれもこのころ関西に住んでいたので、鮮明に思い出す。なぜこんな事件が起きるのか?著者はその背景を探っているのかも知れない。
印象に残ったフレーズより:
(要旨)人を責める二つの言葉、ナイフの言葉と十字架の言葉。十字架の言葉は、背負ったままずっと歩かなければならない。生きている限り、その言葉を背負い続けなきゃいけない(p63)
p207:おまえらは平気で忘れることができても、親は違うんだよ
p240:まあ、基本的には、人間っていうのは優しんだよな・・優しいし、身勝手だし、忘れるんだ、人間は
p277:時間が解決するっていうか・・時間しか解決できないことって、やっぱりあるんですかね
p284:「ああ、元気そうだったし・・幸せそうだった」・・幸せという言葉をあのひとがつかってくれたことが、むしょうにうれしくて、せつなかった。
p309:「俊介が死んでから・・君はどんなふうに生きた。俊介のことを、どんなふうに感じて、どんなふうに背負って、そんなふうに、きみはおとなになったんだ」それを教えてくれ、とあのひとは言った。
本著に出てくるラスト場面の『森の墓場』は、どんなところなのだろうか?自分も一生のうちには、行ってみたいと思う。
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