読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

『ジャーナリズム崩壊』 上杉隆 著

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

『小泉の勝利メディアの敗北』、『官邸崩壊』に続いて、この著者の本を読むのは3冊目。今回予約を入れていたが、実際に借りることができるまで、相当な月日がかかったが、それだけ人気があるということだろう。

既存の日本のマスメディア、そして記者クラブに対する目は、きわめて厳しい。痛い目にも遭ってきたようだが、ニューヨーク・タイムス東京支局での経験や考え方が、色濃く反映されているのだろうと思う。しかし、日米の違いについては、国民性によるところも大きいのかも知れない。

また、この前に読んだ日垣隆氏は、記者クラブがあることで、自由に活躍できる場があって良いような(当然、皮肉も入っている)
印象を語っていたと思うが、上杉氏は、あくまで改革をめざしていくべきとの立場で苦言に徹している。




(扉)
日本の新聞・テレビ記者たちが世界中で笑われている。その象徴が日本にしかない「記者クラブ」制度だ。メモを互いに見せ合い同じカンニング記事を書く「メモ合わせ」、担当政治家が出世すれば自分も出世する歪んだ構造、権力におもねり掴んだ事実を報道しない体質。もはや新聞・テレビは権力をチェックする立場と国民に知らせる義務を放棄したも同然である。恐いもの知らずのジャーナリストがエリート意識にこりかたまった大マスコミの真実を明かす、亡国のメディア論。


(目次-引用)
第1章 日本にジャーナリズムは存在するか?(空想でしかない「客観報道」;メモ合わせ;自由な言論を許さないメディア;編集と経営;しばり、癒着);
p19:日本でいうジャーナリズム精神とは、海外でのワイヤーサービスメンタリティに相当する。・・速報性をその最優先業務とするメディアのことだ。
p31:担当する政治家への批判は必然的にタブーとなり、結果、ジャーナリストであることを放棄し、会社員としての生き方を選択することになる。
p59:自分の都合の悪いことになると、圧力や人事権をちらつかせ、言論を封殺しようとする姿はとても報道機関とは思えない。
p63:ニューヨークタイムスの13篇の警句-多様な価値観を受け入れよ、責任は受任すべし、だが権威は委任すべし、常に大局的にとらえ、ユーモアのセンスを忘れるな、ジャーナリズムは神聖不可侵なものと心得よ、カネの亡者となるなかれ。


第2章 お笑い記者クラブ(笑われる日本人記者;メディア界のアパルトヘイト);
p120:自らも取材活動をしながら、批判されたと言って取材を禁止するなど、絶対に報道機関のやるべきことではない。・・本体の姿勢が、批判を避け、論争を極度に恐れる記者たちを大量に生み出す背景になっているのかもしれない。


第3章 ジャーナリストの誇りと責任(署名記事;実名報道;均一化したエリート記者たち);
p128:「下手にジャーナリズム論などを齧っていると記者として育たなくなる」
p152:最終的なジャーナリストとしての仕事は「権力の監視」だという認識から、批判は「公人」および「準公人」に限るというものだ。


第4章 記者クラブとは何か(記者クラブの誕生;日米メディアをめぐる誤解;英訳・キシャクラブ;都庁記者クラブの場合);
p208:ニューヨーク・タイムズは、その一面トップで、「ジェイソン・ブレア元記者の欺きの軌跡を追う」と題した検証記事を掲載した。
p186:ジャーナリストとしての仕事が満足にできなくても、海外のプレスのように解雇や契約解除の心配はない。ぬるま湯にどっぷり浸かり、横並びの護送船団方式で、自らの立場を守ることに汲汲としている。それが記者クラブの現実だ、


第5章 健全なジャーナリズムとは(アフガニスタン・ルール;過ちを認めない新聞;日本新聞協会の見解)
p232:素朴な懐疑主義、健全な緊張関係、適度な諧謔精神・・(権力とメディアの良質な関係を構築しようとする)そのために筆者が肝に銘じていることは以上3点だ。


{図書館で3/7借り10読了、記入は13}