- 作者: 永六輔
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2008/08/01
- メディア: 文庫
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城山三郎さんの妻への思いを書いた本もあったけど、この本では、永六輔さんの妻への愛情がほとばしり、それが娘さんたちの言葉にも裏付けられて、なんとも、不謹慎かもしれないが、うらやましい思いもする。亡くなった妻に毎日絵葉書を書き続けることなんて、筆不精な僕にできるはずもないが、それをさらっとやり続けている著者というのもすごい。
ほとんど喧嘩もしていなかったようだし、家族を支えた、明るく素敵なお母さん、という姿が浮かんでくる。
文庫本の表紙は、和田誠さんが描いた、昌子さんの似顔絵ということで、なるほど優しそうだ。
最期を家で過ごすことができ、在宅介護、ターミナルケアのことについても考えさせられるけど、やはり、家でゆっくり看取るというのが、これからの理想ではあるのだろう。
とても永さん夫婦のような関係・心境になれるかどうかわからないけど、時はまだあるのか、実は残された日は少ないのかもしれないけど、穏やかに優しい気持ちで過ごせるようになれればいいなあ、とは思う。
(目次ー引用)
拝啓、あの世の昌子さん;
家族を家で看取るということ―座談会(永千絵;永麻理;村松静子);
p65:麻理さん:(病室のベッドで横になってみて、天井の寂しさを感じ、このまま死なせてはいけない、家に連れて帰りたいと思う)
p94:麻理さん:(医師が母の足元にたって、母をしばし見つめた後に、深々とお辞儀をしたのが、感動的だった)
妻という友達、妻というプロデューサー―対談(矢崎泰久;永六輔);
過ぎ去りし日々、思い出のとき;
p136:ヒョンなことからヒョンなことになるのが世の常ならば、「ヒョン」と対決した時の勇気ある判断力だけを育ててやりたい。学校に行って必要なことは幼いといえども人生を語り合う友達をつくる為と考え、親としては精一杯に遊んでやればそれでいいと思う。
p144:私、めげそうになっても、母に大丈夫よと背中をたたかれるだけで、大丈夫なんだと、たちまち元気になってしまうんです。
p147:自分のやりたいことを、思いっきりさせてあげたい。
愛する妻をがんで喪くして―対談(田原総一朗;永六輔);
p158:田原:「冗談じゃない。残された日が短ければ短いほど一日一日が必死。そんなことも知らないで、あなたはよく五か月以上も私をほっといた」と。女房とつきあってから最初の喧嘩でした。
僕たちの介護論―座談会(谷川俊太郎;小室等;永六輔);
p189:谷川:どうしても男は仕事のほうに頭がいちゃうんですよね。僕は昔みたいに、呆けた人を宇宙人だとは捉えません。自分も呆けた人も同じ存在で、ただ生きている、そのことが大事だと思えるようになりました。
昌子さんの声が聞こえる
p209:「嫌いなことはしないでね。好きなことならしてもいいけど。私がなんとかするから」
あとがき
p215:「死にはする。殺されはしない」どいう形であれ、殺されたくはない。同時に殺したくはない。そんな事を書いた詞が、中村八大さんの最後の曲になっている。昌子さんも、好きな歌だった。「いきるものの歌」
{地区センターで2/7借り2/16読了、記入も同日}