読書録

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『ブログ論壇の誕生』 佐々木俊尚 著

ブログ論壇の誕生 (文春新書)

ブログ論壇の誕生 (文春新書)

今や大きな影響力を持つようになったブログの論壇について、毎日新聞の低俗記事をめぐる攻撃など、具体的な事例を紹介しながら、多角的に論じている。まわりには、もうブログは飽きられているのではないかという声もあるが、決してそうはならないような気がするし、むしろ広告によってたつメディアの基盤が崩れつつあるなか、どういう世界が待っているのか、思いを巡らすことができる点で興味深い。しかし、巻末資料にもあるように、これだけの論壇に目を通すのは、一般や僕自身にはほとんど難しい。著者も問題意識としているように、ネット論壇が「公共圏」として意義をもつようになるには、何らかの工夫が必要だろうとは思う。


(目次)
1 ブログ論壇はマスコミを揺さぶる(毎日新聞低俗記事事件;あらたにす;ウィキペディア);

2 ブログ論壇は政治を動かす(チベット問題で激突するウヨとサヨ;「小沢の走狗」となったニコニコ動画志位和夫の国会質問;安倍の窮地に暗躍した広告ロボット);

3 ブログ論壇格差社会に苦悩する(辛抱を説く団塊への猛反発;トリアージ;承認という問題;ケータイが生み出す新たなネット論壇世界);

4 ブログ論壇はどこへ向かうのか(『JJ』モデルブログ;光市「1・5人」発言―ブログの言論責任は誰にあるのか;青少年ネット規制法;「ブログ限界論」を超えて)


(引用・・概略あり)
p14:社会的地位の度外視、タブーなき言論、参加のオープン性、(コーヒーハウス討論は)ネットの論壇が持っている内在的な性質と、実のところまったく同じものだ。
p35:マスメディアのプレゼンス低下は、情報量の爆発的拡大と「マイクロコンテンツ化」の進行:「コンテナーからサラダボウルへ」というパラダイムの転換がおきていることを理解できているかどうかが、ネットの世界で勝てるかどうかの分かれ目になる。
p76:ネットイナゴ・・数の暴力によって運営の破たんをもたらす・・膨大な書き込みが一斉に襲いかかるさまからの俗称
p83:ネットの善意(ex梅田望夫)と悪意(ex柳田邦男)に対する見方は、真っ二つに分かれている。
p94:社会派の人気ブログ「天漢日乗」で、志位委員長の件。
p122:2ちゃんねるのニュース記事をまとめて紹介する「鬼速」で、団塊への反発
p148:(秋葉原連続殺傷事件の)欲求は、ブロゴスフィアでは「承認」という言葉で説明されている。・・承認される安息の場所としては家族や恋人ぐらいしか残っていない。だったら、家族や恋人のいない人は、どうやって自分が承認される安心感を抱くことができるのか?・・無条件の承認をえられないだろうかというのが重要なテーマとしてネット論壇にのしかかり続けている。
p167:イギリスには「アス・アンド・ゼム」という言葉がある。「俺たちと奴ら」・・
p170:地元に残れず地元の外に押し出された若者たちはホーボー化する・放浪労働者のこと
p178:女子大生のブログ炎上事件2006年11月・・AIDMAアイドマの法則が崩壊して、AISASアイサスの法則へ・・メディアによって商品イメージを植え付けられるのではなく、自分で情報を検索してクチコミ情報を共有し欲しいものを選び取っていく・・ネットの当事者でない第三者に蹂躙され、カネで書かせるというコントロールが持ち込まれたことに皮膚感覚として拒否反応を示す。
226:米スタンフォードローレンス・レッシグ教授は、人間の行動を規定する1規範、2法律、3市場、4アーキテクチャーの4種類をあげた。
p231:(毎日新聞が)情報の提供はネット世界への燃料投下になると情報を絞り込んだことが不十分。ネット論壇が苛立つ。・・「きちんとネット論壇と向き合わないと、マスメディアであってもあっという間にひっくり返される。そういう時代になったんだと思う」と知人の言葉。この新しい世界をきちんと認識し、ネット論壇に対する理解を深め、対等に渡り合う枠組みを作り直すところから、マスメディアとネットの論壇が補完しあう新たな言論の世界は始まるのだ。

p235:サイバーカスケードという言論のなだれ現象:キャス・サンスティーンが言及、ネット空間では同じような価値観を持った人が同じ掲示板などに集まってしまいがちになり、お互いに閉じこもり、違う価値観の人間も認め合うという理念を破壊してしまう恐れ。

p239〜ネット論壇が公共圏へ昇華するために:問題は、1担い手がマイノリティ意識で自信がない 2討議文化がない、3理念としての社会とリアルな世間とのかい離、→衆愚化を防ぐ何らかのアーキテクチャを実現することができれば・・

{フォーラムで12/14借り1/8読了、記入は1/10で}