読書録

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『生きる意味』 上田紀行 著

生きる意味 (岩波新書)

生きる意味 (岩波新書)

しばらく忙しくて書けなかったが、久しぶりの休みで、パソコンに向かう。


この本を読んだ後、秋葉原の事件が起きて、冒頭に出てくる京都の「てるくはのる事件」を思い起こした。豊かな時代になったはずなのに、生きる意味が見えず、凶悪な犯罪が、普段は「いい子」なのに突然起こる。その背景には、自分を被害者だと思い、犠牲者だと感じてしまうという共通の感性が見え隠れするという(p7)そして、現代の日本人を象徴するのが「透明な存在」という、神戸の酒鬼薔薇事件の少年が提示した言葉8p24)で、他者から受け入れられるためになってしまったと指摘する。また、現代日本人の空しさの核心は、「かけがえなさの喪失」だという。(p35)さらに、この喪失感は、グローバリズムによって世界的に進行していると指摘する。(p72)構造改革路線も、グローバルスタンダードに従わないと世界から排除されるとして、より厳しい効率性の追求と他者からの評価にさらされ、生きる意味がさらに崩壊していくという。(p97)


そこで著者は、「数字信仰からQOL社会へ」と発想を逆転させるべきだと指摘する。(p115)数字信仰によって、年収が上がることをめざして、家族同士が一緒に食事をする時間もなく、親子関係もばらばらになるという弊害がわかっているはずなのに(p120)、構造改革が報酬の額で私たちを動かそうとしていると説明し、時代錯誤、逆行だと批判する。


p140からは、著者が自分自身を振り返り、「世界とは効率性の追求のためにあるのではない。自分が何を愛するのか、世界の何と愛でつながることができるのか、そのことを見出さなければぼくはこれから生きていくことはできないんだ。それが、ノイローゼ状態となりカウンセリングに通い始めた私にようやく訪れた、ひとつの啓示だった」という。
そして、p146で、「いま真に求められているのは、生きることの創造性、「内的成長」の豊かさなのである」とし、そのきっかけになるものとして、「ワクワクすること」と「苦悩」の二つのものへの感性を研ぎすますことから始まり、それを支えるのは豊かなコミュニケーションで、これをもたらすコミュニティの再創造が求められていると主張する。こうしたグループの基本的なメッセージは、(p172)1.ひとりではない。2.あなたはあなたのままでいい。3.あなたには力がある。ということだと紹介する。


この本の中で、自分の今置かれている立場を理解するうえでは、次の記述もなるほどという面あり。
p198:日本の父親は子どもの熱ぐらいでは休まない。そんなことで会社を休んでいては、会社での評価はがた落ち、昇進もままならないだろう。・・
p200:社会の中に「信頼できるもの」「私を絶対見捨てることのないもの」をどれだけ持つことができるか、そのことが私たちの内的成長を深く支えるための基盤になる。


p204からは、ここまでの議論が、以下のようにまとめられている。
「人の目」と「効率性」によってがんじがらめになって、私たち自身の「生きる意味」が見失われているところに私たちの時代の病はある。・・一見私たちの自立をもたらすように見える新自由主義的なグローバリズムは、私たちをますます効率性と他人からの評価に縛り付け、私たちの生きる意味の再構築をもたらすものではない。
いまこそ、経済成長や数字に表わされる成長といった、私たちや私の社会を外から量的に見る見方ではなく、「生きる意味の成長」といった人生の質にかかわる成長を考えるべき時ではないか。・・「内的成長」をもたらす社会への転換・・それは私たちが自分自身の「喜び」と「苦悩」に向き合うことから始まる。・・それは私たちの間のコミュニケーションのあり方転換でもある。・・「内的成長」を育む様々なグループが生まれ、さらに仕事、学校、家庭といった場が、私たちの「内的成長」の場へと転換していく。
自分自身の人生を取り戻すことは、ワガママになる可能性もあるが、それあ、自尊感情や自己信頼があるかどうかが、大きな分かれ目になる。


p221からは、すでに多くの人が気付いていることとして、著者が書き進めてきたことを、以下。そしてラストへ。
数字を追い求めるのではなく、本当に自分にとって大切なものを大事にしたい。自分の子どもには他人の痛みをわかる子になってほしい。皆で支え合えるような、あたたかい社会を創り出したい。・・・(p222)誰もが自分の「生きる意味」を生きたいと思っている。自分も尊重され、あなたも尊重される社会になればと念願している。冷酷な社会ではなく、あったかい社会を築きたいと思っている。その思いを形に変え、身近なところから一歩踏み出せば、私たちは自分自身の生き方とこの社会の在り方を変えていくことができる。


この本に出てくるように、喪失体験など、つらい思いをしたとき、その思いを出し合って、支え合う、というグループがある。ネットはそういう面でも役にたつと思う一方、秋葉原の事件の容疑者は、ネットにもいろいろ書きこんでいた。自殺した川田アナも、ネットのブログでぎりぎりまで思いを出していたように思う。どこかで支え合うことができなかったのか、その可能性はネットにはないのか、生きにくい世の中で、著者のいうことはそうだとは思うものの、ではどうしたらよいのか、普通のサラリーマンで何ができるのか、悩ましい。

{5/25図書館から借り30読了、記入は6/21}