中央公論新社のサイト↓2017/10/19発刊↓
サイト)西郷隆盛の性格は、書状からみえる。豊臣秀頼の父親は本当に秀吉なのか。著者が原本を発見した龍馬の手紙の中身とは。司馬遼太郎と伝説の儒学者には奇縁があった――日本史にはたくさんの謎が潜んでいる。著者は全国各地で古文書を発見・解読し、真相へと分け入ってゆく。歴史の「本当の姿」は、古文書の中からしかみえてこない。小説や教科書ではわからない、日本史の面白さ、魅力がここにある!
古文書を読めることの素晴らしさと、それを関連づける豊富な知識が必要だと思った。テレビでのご活躍も納得できる。いまの大河ドラマ家康関連についての記述も結構あり。以下、引用やポイントなどメモ
p21:物見役は人前では敵に人数を半分ぐらいに報告する習慣があったのだ。長年、歴史を研究しているがこんな記述は初めて見た
・浜松に「日本史上最強のパワースポット」があるなどと読売新聞に書いたことがある。p59
・秀吉も家康も 引間城本丸(現在 元城町東照宮)にきて飛躍の土台をつかんだ。
p70:(三方ヶ原の戦いで人数が違う)権力の都合で情報は操作される。ゆえに国家機密の保護は必ず後日の情報公開とセットでやらないと、検証が不可能になり国を誤る。
p150;日本の出版文化の充実ぶりは、世界を見渡しても類例がない。 +『養生訓』など
p156:日本が独立を保ってこられたのは、自らの出版文化を持ち、徳治の思想と情報の交流が行われたからである。歴史家としていいたい。この社会は、その重みをもう一度かみしめなくてはならない。
p166:龍馬の書状「発見」二題(NHKのバラエティー番組の収録で、お宝、三岡に福井に会いに行く)
・著者の5代前の甥・高山紀斎が神戸事件の隊列に、米国留学で虫歯に、治療をうけ歯医者に、現存最古の近代歯科医学校を創る、これが東京歯科大学に
・「民あっての国」、山田方谷の改革 p177-
ベースは読売新聞『古今をちこち』 2012年10月~2017年8月の掲載分、ほかに潮や新潮45、などから
{2023/2/21火-28火:読了、記入は3/30④}