読書録

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『自己実現シンドローム』 梶原公子 著

自己実現シンドローム 蝕まれる若者の食と健康

自己実現シンドローム 蝕まれる若者の食と健康

自己実現にこだわるあまり、食事がおろそかになっていることは、問題ではないのか?というのが著者の問題意識。
だからこそ、もう自己実現より、きちっとした食事をしよう、という。

ここまで自己実現や夢をかなえることを「敵視」しなくてもよいような気がするが、
食事が満足にできないことが良いかというと疑問なのは確かだ。

また、仕事を生活のための手段として割り切る、という考え方も、養老さんの「穴を埋める」と同じように、生きにくい社会においては一つの考え方なのかもしれない。


(目次ー引用)
p4:「世の中はどんどん便利で豊かになっているのに、若者の食はかえって貧困化しているのではないか」という疑問を持つようになった。

第一章:「あなたの夢をかなえることが大切よ」;3自己実現強制社会
p47:多くの若者が「世界に一つの花」を咲かせる社会というのは、本当は辛くて危うい社会なのでhないだろうか。
p49:教育現場では、「夢の実現」が授業の一環として、強制的に行われている向きもある。


第二章:熟年主婦の過去、20代女性の現在、そして未来;
p88:「自己実現ですか?私は生きていく上で必要ないと思いますよ。かえって自分中心的に動いて、人のために働くことがなくなってしまうから、マイナスなのじゃないでしょうか」私は麗子さんと話をしていて、彼女を好ましく思い、このような人がいたことのだとほっとした気分にさえなった。
p103:主婦よりも自己実現を目指すほうが価値ある人生ではないかと思えたりするのである。それはあたかも自己実現という迷路に迷い込んでしまったかのようである。


第三章:「20歳以上に健康リスクが高まっている」背景にあるもの;
p122:食べることを楽しめないし、幸せだと感じることも少ない。結果として「豊かさの中の貧しさ」を招いているのではないか。


第四章:若者の「食」を貧しくしているものは何か;3労働環境と「食」の貧困化


第五章:「済ませる食事」が広がっている;3「食」おり大事なものがある
p184:『マクドナルド化する社会』ジョージ・リッツィアの定義→「ファストフードレストランの諸原理-効率化、予測可能性、脱人間化-が、アメリカ社会のみならず世界の国々のますます多くの部門で優勢を占めるような過程」
p188:「早い、安い、うまい」の秘密←若者が合理的食事を常習的に利用し・・はまってしまう


第六章:自己実現不要論;2「夢」よりもまず食べることを
p230:自己実現とは若者一人ひとりが孤立しやすく、自分だけは勝ち組になろう、市場価値を高めようと、自分の利益だけに目を向けていくシステムであるといえるだろう。さらに社会や政治に目が向かず、競争原理に従ってひたすら働くのみで、ゆとりある生活や食べることは二の次になってしまい、「食と健康」がリスク化する可能性も高まる。けれどもそのような若者は、彼らを雇っている企業や時の政権にとってはまことに好都合な存在である。したがって、自己実現とは、権力側が望むような若者を作り出すシステムという側面があるように思う。
p233:成果主義、効率優先の新自由主義の社会では、市場価値の高い人が人間としての価値も高いとされる。そのような社会では、自己実現や生涯発達論に従って働くことが求められる。それが達成されれば収入が増え地位が上がるなどして評価される。反対にうまくいかなければ、それは個人の責任になるのである。
p239:日々心豊かに食べること、暮らすことなど人間として当たり前の、あるいはごく基本的な欲求を忘れてまで達成しなければならない自己実現とは、一体何なのかを考えてみる必要があるだろう。
p243:若者が自己実現を追い求めると、生活は過酷な労働と合理的食事がセットになり、「食と健康」のリスク化を招きやすいということを述べた。
p244:賃金労働とはお金を稼いで生活を維持するための仕事、食べるための営為と割り切ることも大切ではないか。
p236:自分の「食と健康」を確保するためには、時間を消費しない生活にシフトさせることが必要・・肩の力を抜いて、結構な「夢」や「生きがい」「期待」といったものを持たないことでもある。

あとがき:自分探しとか自己実現にサヨナラすることで、楽に生きられるのではないかと思うのである。


{フォーラムから借り23読了、記入は29、5/3}