- 作者: 川崎泰資,柴田鉄治
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/02/26
- メディア: 単行本
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(扉)
二〇〇五年一月、朝日新聞がNHKの番組の改変に政治家が関与していたという記事を掲載、そこから二大組織の「大喧嘩」に発展した。そこで問われたことは何だったのか。膨大な資料や取材に基づき徹底検証し直す。さらに、朝日・武富士事件、テレビ局の新聞系列化の弊害、新聞販売制度の闇、地上デジタル放送開始への懸念、待ったなしのNHKの経営改革など、組織メディアをめぐる諸問題を取り上げ、その権力監視機能がいかに衰えてしまっているかを追及する。志あるジャーナリズム再生の道筋とは。
(目次−引用)
序章 「NHK VS 朝日」問題の再検討がなぜ必要なのか;
第1章 政治介入と「番組改変」の真実―二〇〇一年一月、何が起こったのか;
第2章 腰砕けになった朝日新聞―なぜひるんだのか;
p59:少数意見の尊重はジャーナリズムの原点であり、社会的弱者や少数の訴えを社会に伝えることは、ジャーナリズムの大事な使命なのである。
第3章 他メディアはどう報じたか;
第4章 ここまで来ていた組織の劣化;
p110:問題は不心得者の出現そのものではなく、その不祥事にどう対応するか、そこにこそ組織の力量、その優劣がはっきり表れるものなのである。
p122:公共放送としてNHKのジャーナリズムを「志」をもって進めるべき立場の幹部が、権力といたずらに迎合する姿が「組織の劣化」を如実に示している。
第5章 迷走する放送改革・進まない新聞改革;
第6章 政治権力と組織ジャーナリズム;
p177:組織ジャーナリズムを覆う無力感は一体どこにあるのか。それは何といってもタブーの拡大と、権力への迎合にあり、これが日本のメディアを臆病にしている。
終章 メディアは、なぜここまで蝕まれたのか
p202:メディアにとって報道の自由、番組編集の自由を無条件に認めてくれるのはありがたいことではあるが、今回のケースのように、制作現場のプロデューサーたちが作ろうとした番組を、政治家の意図を過剰に忖度した上層部がズタズタにしてしまった異常な改変まで、「編集の自由」として認めてしまったら、報道の自由はかえって危うくなることは明らかだろう。
p205:遠回りのようでも、志が組織によってつぶされた一つ一つの具体的な事例をしっかり検証し、記録に残していくことではあるまいか。それを教訓にして今後に生かしていくことだ。
{図書館で12/21借り1/14読了、記入も同日}