読書録

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日本の近代化とスコットランド

日本の近代化とスコットランド

日本の近代化とスコットランド


独立するかどうかをめぐって、今年9/18に住民投票が行われたスコットランド。テレビでは、スコットランドウイスキーづくりを学んだ物語を題材としたドラマが始まり、どういう関わりだったのか興味がわく。著者は学術的に当時のことを記しており、実話に最も近いのかも知れない。

本著の狙いについて、著者は、明治天皇の即位による1868年の政変で、p40「多数のスコットランド人が自国の諸技術や専門的知識を日本にもたらす役割を果たした。本論文では、新生日本の創出にスコットランド人がいかに実際に役立っていたかを示したいと思う」と記している。


出版した玉川大学出版部のサイト(目次あり)⇒ http://www.tamagawa-up.jp/book/b28458.html


印象に残ったポイントと備忘録として以下引用。
◇(グラスゴー大学が製作した艦船用の距離測定器が日露戦争前に装備され)を対馬海戦の勝者・東郷平八郎は、1911年7月13日にグラスゴーを訪れ、バー・ソトラウド社の労働者に感謝して、「対馬の戦闘でわたしを勝利に導いてくれたのはあなた方であります」と述べた。p88

◇政孝が50年後に書いた自伝で、「p166:日本を発つ前の1918年にはサミュエル・カウン医師が死去していたという事実にも関わらず、政孝がは、カウン医師はまだ存命中で、自分をミドルクロフトに招いてくれたかのように書いたのである」とし、家長がいないことに違和感を感じていたのだろうかと推測している。

◇(第10章 「竹鶴政孝スコットランド人の妻」の結語p179)
日本の蒸留ウイスキーとスコッチ・ウイスキーのあいだに、「親密な関係」が見られるのは、竹鶴政孝の断固たる決意によるものであった、ということを認めなくてはならない。1919年から1920年にかけてスコットランドウイスキー製造に一身をささげて取り組んだ結果、かれは日本における熟達したウイスキー製造業者としての生涯を送ることになったのである…この日本人ウイスキー王と、さらにはスコットランド人の妻が成しとげた功績に、人は称賛を惜しまない。


{9/22-10/3読了、記入は10/12}