読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

ニュースキャスター

野球少年だったのが六大学野球で活躍し、政治記者&ワシントンで仕事をし、現在は看板番組でキャスターを務めている著者が、自らの歩みと思いを率直に語っている。とりわけ、3.11の東日本大震災のあとは、現場の声に耳を傾ける現場主義を強く意識するようになったという。そして冒頭で、2年を経た自分なりの定義として、「取材者であり、表現者であること。そして、放送という巨大な媒体の怖さを正しく認識し、抑制的にニュースの見方を示すジャーナリストである」(p10)とし、「時代が求めるメッセージを自分なりに感じ、考え抜き、発信し続ける存在でありたい。その大前提として、今の世の中に生きるまっとうな常識人でなければならないと思っている」と記している。


(目次ー引用)
第1章 あの日
◇命を救う報道を目指す:p28:すべては、ひとりでも多くの命を救うために、そしてせっかく救われた命が失われる事のないように、その基本を盤石なものにすることをすべての出発点として、これからの日本を作っていく責任ある一員でありたいと願っている。


第2章 取材者として
◇現場主義でいきたい:p40:そこで触れた多くの人々のことばは、私の魂を揺さぶり、心のなかへとしみわたっていく。今度はそれば、私自身の内面からにじみ出る何かとなり、私の発することばに命を吹きこんでいくれるはずだ。


第3章 表現者として
◇岡山初任4年で政治部16年間、2005年ワシントン支局09年帰国10年からキャスター。お手本は磯村尚徳氏。


第4章 「自分のことば」でニュースを語る
◇そのニュース、核心はどこだ。2011春からキャッチコピーに。⇒視聴者の目線にたって共に核心を考えていく姿勢⇒わかりやすさを追求することは必須⇒質の高い情報を厳選し絞り込んで視聴者の求めに応じて誠実に向き合いたい
◇私憤ではなく公憤で+求められるのは判断材料⇒核心をきわだたせ、あるいはもう一度解きほぐす水先案内人に


第5章 政治記者をやってきた
◇取材先との「同化」の手前で(派閥抗争)
◇記者のイロハとは…本当のことはなにかを懸命に掘り下げようと努力するうちに、そんな自分を買ってくれる警察官と出会うことがある。取材を重ねながら、情報を持つ相手の懐に飛び込むとはこういうことかと分かってくる。
◇橋本総理の誕生をスクープ(1996年1月)特ダネを取ろうと努力することは、ひとつの事象に思いを込めて、綿密に取材することでもある。小さなヒントをきっかけに、ものごとの本質を突き詰めていくのが記者の本分…p87、不器用でもいいから、誠実であることが求められる。


第6章 野球少年、キャスターとなる
◇次世代につなぐもの:(岡田武史監督とのインタビューを通じ)大人は、今の生活が自分たちにとってよいかどうかばかりを考えがちだが、大切なのは、次の世代にどのような社会を残すかなのだ。若者に負担を強いる社会保障制度の改革と負担の均等化、お金が世の中に回らない消費構造の改善、東アジアに未来志向の関係を作り上げること


コラム「現代(いま)を見る」
◇ガガねえさん2011/6/29:あるがままを愛す、ファンに。
◇しあわせな人2011/9/21:同期の大半がデスクで管理業務にあたる中、恵まれた境遇でなおも前線に立つことができるぼくは、究極のしあわせ者である。それを考えれば、プライベートな時間がないとか、眠いとか文句をたれている場合ではない。
◇今も続く大切なこと2012/3/14:震災は、日本に新たな生き方を模索するよう求めているように思う。そのための検討課題を、分厚い取材によって拾い上げ、確かな目で世に問うていきたい。そして、その前に、今も被災地を覆う悲痛に寄り添うことを忘れないようにしたい。亡くなり、行方がわからなくなったひとりひとりに、思い命があり、愛する人たちがいることを肝に銘じながら。


あとがき(p235):生きた言葉を紡ぎだすために、これからも現場を踏もう。この世に起きるあらゆるできごとから目をそらさず、当事者たちと会う努力を怠るまい。私はこれからも行動するキャスターであり続けたいと願っている。


{1/21-25読了、記入は27}