読書録

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下山の思想

下山の思想 (幻冬舎新書)

下山の思想 (幻冬舎新書)

著者の本をこれまで読んできて、悲観的とはあまり思っていなかったのが、あとがきで記しているように、敗戦が精神的出発点(「生き残ってすいません」p46)で、ネガティブなことばかり言ってきたと思うという。そして鬱の気分が国中をおおっている時代に、「のびやかに、明るく下山していくというのが、いまの私の、いつわざる心境である」と紹介し、そのさまざまな心構えを、著者自身の思想的背景を含めて紹介している。


(要旨ー扉)
どんなに深い絶望からも人は起ちあがらざるを得ない。すでに半世紀も前に、海も空も大地も農薬と核に汚染され、それでも草木は根づき私たちは生きてきた。しかし、と著者はここで問う。再生の目標はどこにあるのか。再び世界の経済大国をめざす道はない。敗戦から見事に登頂を果たした今こそ、実り多き「下山」を思い描くべきではないか、と。「下山」とは諦めの行動でなく新たな山頂に登る前のプロセスだ、という鮮烈な世界観が展望なき現在に光を当てる。成長神話の呪縛を捨て、人間と国の新たな姿を示す画期的思想。


(目次ー引用)
□いま下山の時代に□
下るという大事なプロセス;
下山しながら見えるもの;「林住期」から「遊行期」への時期(古代インド思想)
p58:一歩一歩、足を踏みしめ安全に下りていきつつ、自分の人生の来し方、行く末を思うこともあるのではないか。


□下山する人々□
法然とフランチェスコ
平安末期に流行した今様;
黒でもなく白でもなく;p98:二分法は通用しなくなっている。黒であり、同時に白でもある。


□いま死と病いを考える□
この世で絶対的な真実;
病人大国日本の憂鬱;p114:私は経済問題も、政治も、世間の動きも、統計より実感を大事に考える人間である。その感覚からすれば、この国は「病人大国」以外のなにものでもない。


□大震災のあとで□
言葉もなく、おろおろと;
下山途中の生き地獄;


□ノスタルジーのすすめ□
時には昔の話を」のとき;
古い記憶の再生装置;
p166:「アベック」→「カップル」、「連れ込みホテル」→「ラブホテル」自分の意思だから?
p218:郷愁を自信をもって楽しもう、というのが私の提言である。人に隠れて、こっそり自分だけの時間にひたるのは、各人の勝手だ。…過ぎし日の思い出は、甘美である。…人は現実生活のなかで傷つく。心が乾き、荒涼たる気分をおぼえる。そのガサガサした乾いた心をうるおしてくれるのが郷愁だ。


二分法は通用しない、統計よりも実感を、というのは、しばしば痛感する。年齢的にも、下山を考え始めて良いのかも知れない。その一方で、経済だけでなく、さまざまな分野で「成長」はしていきたいという気持ちは、どこかで持ち続けていたいとも思うのだが。

ちょうど2012/8/4の朝日のbeフロントランナーで、選択の研究者で知られるシーナ・アイエンガーさんが取り上げられ、宗教と幸福の関係で、原理的な信仰をもち、人生における選択肢が少ないように見える人が、むしろ楽観的で幸福だ。制約を受けることが自分で決めているという感覚を失わさせるものではない。「大切なのは、自己決定の意識をもっているかどうか」と述べていることが紹介されていた。今の時代が大変なのは、「生き方」を含め選択肢が沢山ありすぎる中で、何を選んだらよいのか、難しいという面もあるだろう。「下山」も自分で決めるなら、とても良い選択になるのだろう。

{7/31-8/5日曜読了、記入同日}