読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

いま、働くということ

いま、働くということ (ちくま新書)

いま、働くということ (ちくま新書)

なんでこんなに働くことについて悩み考えるようになったのか。本著は、哲学の立場から論じている。ただ、中で著者が、経済について詳しくないなどと吐露されると、どこまで現実や実態がわかっているのかと、疑問を持ってしまうのが残念。哲学というのは、ピタッと息が合わないとなかなか入ってこない。


(扉ー引用)
フリーターが増加し、正社員とそうでない人の格差が広がっている。働く環境が悪化し、「こつこつ働いたところで何になる?」という諦念が蔓延しつつある。お金のため、自己実現のためという、仕事を手段化する感覚が広がるなか、「働く意味」を多くの人が実感できなくなっている。実際には私たちは、見知らぬ人々や自然といった「いのち」の連鎖のなかで生きているという視点から、「いま、働くことの意味」を問い直す。

(目次ー引用)
はじめに―働く意味への問と、労働シニシズム

1 働く環境の破壊;
p46:「働くのは生きていくためだ」という圧倒的な正解の前で思考を停止させてしまわずに、働くことの意味を考える・・


2 何のために働くのか;
p82:相互承認が必要・・p106:自分の社会的な存在が承認されているという安堵を感じる。


3 人間の協業の仕組み;
p112:誰もが必要とするもの、ないし必要としうるものを作り・届ける、という活動に従事することによって、」任意の他人との相互依存の関係の中に一つの位置を占める。そのことによって、そのつど他者に対して何ものかとしてある、という対他存在としての自分の存在が社会的に承認される。これが、仕事について働くということが意味することであった。
p122:モノ・労力の流れの基本は、つとにモースが指摘しその後さまざまに論じられてきたように、時代を遡れば遡るほど、贈与と返礼という対人的な馴染みにもとづくやりとりだった、と見るべきであろう。
p163:(市場社会での労働観は、市場の財・サービスの一つ+避けるのが望ましい労苦

4 生きることと働くこと;
p196:そもそも働くということは、「間柄をなして・自然に対して」働きかけていく協業に参与することであった。
p215:「プロジェクトとしての生」(p214=自分の所有する身体・能力を活用し、その代価をもちいて、自分の生から快と満足を搾り出すプロジェクトだ)という人生観は、先に確認したように「いのちのうえに自我が誕生する」ということを限りなく無視するという、おごりとシニシズムの所産であった。
p229:フランクル夜と霧から引用→『ここで必要なのは、生の意味についての観点の変更である。すなわち、人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、むしろ人生が、何をわれわれから期待しているかが問題なのである』


現代における労働環境―結びに代えて;
p255:いのち/生とその連続が自分に求めているものに目を向けていくことが求められている。


{5/24-26読了、記入は6/7}