読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

 街場のメディア論

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

キャリアは他人のためのものであって、決して自己実現をめざすものではない、という大学の授業の入り方は、今の難しい時代にあっては、なるほどと納得。
p29:「世のため、人のため」に仕事をするとどんどん才能が開花→宗教用語で召命(Vocation)=天職


ただ、テレビは面白くないので見なくなったと言いながら、テレビ論やジャーナリズム論を展開するところは、先の樋口さんのメディアの大罪批判と同様の、違和感を覚える。どうして見ずして批判ができるのか?どこまでわかっているのか?
p35:僕は実はもう何年も前からほとんどテレビというものをみなくなっています。
p39:マスメディアの凋落の最大の原因は、・・端的に言えばジャーナリストの力がおちたことにあるんじゃないかと思っています。・・ジャーナリストの知的な劣化がインターネットの出現によって顕在化してしまった。
p117:僕の知る限り、教育に市場原理を適用すべきでないという主張を掲げ、市場化趨勢に全面的に抵抗したメディアはありませんでした。
p122:「社会制度は絶えず変化しなければならない。それがどう変化すべきかは市場が教える」という信憑そのものが教育崩壊、医療崩壊の一因ではないのかという自問にメディアがたどりつく日はくるのでしょうか。
→ここで引用したところは、著者のメディアへの決めつけと、最近は主流になってきた小泉ー竹中の市場原理批判にのかっていると思われるところで、あまりにもこれもまた一面的にすぎるように感じる。


また、贈与経済、有難うという返礼の気持ちの基本に立ち返ることが解決策だという結論めいた話は、むしろクレーマーやモンスターと呼ばれる人が増えてきた時代状況の変化に対応しているとは思えず、もちろんそういう精神が大切なのは理解するとしても、これもなかなか理解が難しい。
p183:僕が言いたかったことは、人間たちの世界を成立させているのは、「ありがとう」という言葉を発する人間が存在するという原事実です。価値の生成はそれより前には遡ることができません。「ありがとう」という贈与に対する返礼の言葉、それだけが品物の価値を創造するのです。


ネット時代の著作権の考え方など、議論の展開や比喩は、辺境論と同様、とても面白く刺激的ではあるが、その影で、基本的な立ち位置のところに、納得できない部分があった。


(目次−引用)
(扉)テレビ視聴率の低下、新聞部数の激減、出版の不調―、未曾有の危機の原因はどこにあるのか?「贈与と返礼」の人類学的地平からメディアの社会的存在意義を探り、危機の本質を見極める。内田樹が贈る、マニュアルのない未来を生き抜くすべての人に必要な「知」のレッスン。神戸女学院大学の人気講義を書籍化。

第1講 キャリアは他人のためのもの;

第2講 マスメディアの嘘と演技;

第3講 メディアと「クレイマー」;

第4講 「正義」の暴走;

第5講 メディアと「変えないほうがよいもの」;

第6講 読者はどこにいるのか;

第7講 贈与経済と読書;

第8講 わけのわからない未来へ;

{5/7-9読了、記入は15}