読書録

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マイクロソフト戦記

マイクロソフト戦記―世界標準の作られ方 (新潮新書)

マイクロソフト戦記―世界標準の作られ方 (新潮新書)

今やウィンドウズが当たり前の世界になったが、この本を通して、いかにそうなってきたのか。その背景にはどのような動きがあったのか、垣間見ることができて面白かった。なにしろ、自分の所有してきたPCやソフトを思い起こし、懐かしく感じた。MSXパソコンって、確かにあったがあっという間になくなってしまった。当時どうしようかと考えたのを思い起こす。

1980年代は圧倒的にNECの時代で、最初に買ったのは8001mk2だった。カセットテープでソフトを走らせ、それこそ表計算をマルチプランを使ってやっていた。5インチのディスクを9801VXで動かし、これは10年ぐらい使っていたという記憶がある。その間、統計処理関係でロータスソフトも一部覚え、ハードディスクには20メガで20万円近くしていたのをなんとか購入したような気がする。ウィンドウズがはやり始めたのは、確かに3.1ぐらいからだったし、NECがあまりに周辺機器との接続方法などを変更して使えなくなるので、ウィンドウズ95までで頭にきて、98からはソニーのバイオに乗り換えた。先のフリーではないけど、どんどん容量は大きくなって複雑化し、値段は安くなったとはいうものの、フロッピーディスク1枚=1メガで、ワープロやマルチプランが動いていた単純な世界も懐かしいし丈夫だったなようにも思う。

著者はほぼ同じぐらいの世代だと思われるが、大変な時代を当事者として関わり、世界の標準化に貢献したということになるわけだから、貴重な経験をされたということだろう。


(目次ー引用)
第1部 パソコン草創期の挑戦
1.最大幸福という原理;
2.テクノロジーの波;p35:デファクトにいたる二つの要件〜テクノロジーの波を理解する力と業界の動向を明確に理解し関係者のSNSを介して売り込む戦略。
3.業界マップ;1983年にアスキー西和彦主導でMSXパソコン
4.テックサポート;
5.ヘッドハント;
6.そのまま、走る;
7.ベルリン;
8.メジャーイベント;1986年1月、西はマイクロソフト副社長をクビになる
9.崩壊;


第2部 ウィンドウズ―OS勃興期の激戦
10.ウィンドウズプロダクトマネージャー;
11.ウィンドウズの進化;GUIに関しアップルが条項で83年から1年間禁止したのみ、1992判決確定でMS勝訴。
12.二つの巨大ハブ企業;IBMとNECに対抗「ボース・アインシュタイン凝縮」ネットワークがスター型に集約される
13.ウィンドウズセミナー;
14.二つのウィンドウズ;1986西がゲイツと和解、OAX構想、PC/AT互換
15.課の王様;1987暮れ、ソフトがないのにwin2.0販売
16.OS戦争;1984トロンは88米通商部が問題化
17.ウィンドウズ3・0への道;


第3部 デファクトスタンダード―業界全体を巻き込め
18:OEMブリーフィング;
19.コンソーシアムを立ち上げろ;1989年4月エクセル発表
20.ティッピング・ポイント;2005年6月スティーブ・ジョブススタンフォード大祝賀スピーチが流行爆発、2000年マルコム・グラッドウェルの本で大流行の3要因→1.少人数の法則:流行は少数の部外者によって始まる。2.スティッキネス要因:人をひきつける魅力的な要素がある。3.環境の力:その時、人を取り囲んでいる環境の重要性(条件が整っていること)
21.ビル・ゲイツとコンソーシアム;日本では1990年2月NECがコミットメント宣言したことが転換点だった
22.ワールドワイドウィンドウズ;
23.ウィンドウズ3・0ローンチ;1万本の3.0を無償配布、4か月後に百倍のセールスに
24.炎上;1990年、IBMのOS2が炎上
25.デファクトのメカニズム;核となるテクノロジーを持ち、ネットワークを正確に把握し三つの波を準備。目に見えるイベントで人間関係を構築しておく。自分のテクノロジーには人を魅惑し引き付けることができる特徴を持たせる必要がある。


{4/28-5/5読了、記入同日}