読書録

読書整理用のダイヤリーから移行しました19/1/26土~

『著作権の世紀』 福井健策 著

著作権の世紀 ――変わる「情報の独占制度」 (集英社新書)

著作権の世紀 ――変わる「情報の独占制度」 (集英社新書)


デジタル化やネットワーク化が進む中で、著作権はいかにあるべきか、情報の独占と共有のバランスについて考察が進められていく。

具体的な事例としてあがっている、槇原vs松本裁判や、おふくろさんの作詞家と森さんの論議など、当時聞いた覚えたあったが、どういう風に考え、また決着をつけるのか、よくわかった。

著者が言うように、大きな知恵が今必要とされているのだろう。


p16:(著作物は「創作的な表現」これだけは覚えて)
p22:(ありふれた・定石的な表現や、歴史的事実、アイディアや着想、実用品のデザインは、著作権の保護対象から除かれ、情報独占への歯止めとなる)
p24:(侵害が成立する二つの条件は、1.依拠性と2.類似性。槇原敬之vs松本零士では2008年、見ていた根拠はないと槇原勝訴)
p54:(既存メディアがネットに顧客を奪われる状況が続き、「ただのり」するばかりで労力を負担していないという不満が強い)
p58:著作隣接権:放送事業者の権利として複製権、再放送権、伝達権、送信可能化権
p80:(「おふくろさん」の著作権JASRACが持っており、誰でも利用申請できれば利用でき、森さんもそのままなら歌うことは問題なし)
p105:多次的創作を一定の限度で認めつつ、オリジナル作品の正当な利益を守る方策はないのか。法律の領域にとどまらない地道な検証と、大きな知恵が必要な時期なのかも知れません。
p162:デジタル化やネットワーク化のなかで、作品の私的な流通や複製が拡大する話。いわば、作品という情報の波及や活用という「知の活用」。次に、カヴァーやパロディといった多次的創作の話。いわば、作品を使った「知の創造」。それから、アーカイヴィングという「知の集積」。こうしたちの利用、集積、再創造をはかるうえで、往々にして著作権の課題が浮上します。・・権利処理はむしろ困難を増しています。・・著作権リフォーム論が叫ばれるようになった。
→1.作品登録制、2.報酬請求権化.3.日本版フェアユース、第二の方向性として、権利の切り上げとしてのDRM
p165:著作権の権利処理コスト:許可をもらう代償に権利者に払う対価と許可をもらうための作業コスト=取引コスト
p179:(2009年の著作権法改正で検索エンジンのキャッシュ機能が合法化)
p200:物のパブリシティ権は、競走馬事件最高裁判2004年で明瞭に否定。
p203:所有者に、寺社や公園の影像という「情報」を独占できる法的な権利があることは意味しない
p223:創作や流通の現場を知り、現場を動かす協働のメカニズムを知ること。そのうえで、文化と社会の未来を見据えた粘り強い思考や対話から、情報の大航海時代を乗り切る「やわらかい法律」としての著作権の未来像を考えていくことが大切だろうと思います。

{7/29読了、記入は8/9}