読書録

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『テレビ番外地』 石光勝 著

テレビ番外地―東京12チャンネルの奇跡 (新潮新書)

テレビ番外地―東京12チャンネルの奇跡 (新潮新書)

テレビ東京の編成局長として「おもしろがり屋さん、感性ゲリラ人」とスポニチに書かれた(1982/7/22)著者が、「ハレンチ学園」や、グルメ情報番組、TV通販など新しいことを手がけて、視聴率を稼ぎ、放送を軌道にのせていった物語を綴っている。


著者が常に頭に置いていたのは、視聴率、内容が偏っていないかどうかの中立性、それとタレントさにゃ制作会社など外部の人達との繋がり(p128)と紹介しているが、語られるエピソードの中には、困ったときにどう対応するか、についてのヒントもあった。
・皇太子ご成婚で、雅子さまの再現ドラマを始めようとしたときに放送を中断させる
・子ども参加の屋外イベントをやめてスタジオに切り替える「危ない橋は渡らぬがいいというのが私の主義なのです」(p102)
・差別問題で、抗議にきた人が「そんなつもりはなかった」という局員の足を踏んで「踏まれている者は痛いけど、踏んでいる者は痛くないんだ」と行ったとかいう話を伝え聞いたことがあるということも紹介するとともに(p123)、中東大使から「ファニア歌いなさい」というアウシュビッツを取り上げたエミー賞受賞番組で抗議を受けた際の対応で、「一番いい対応は真正面からじかに受け止めることです。面倒なようでもこれが早道なのは経験上分かっていたので、早速出かけました」と(p152)素早く対応する。
納豆ダイエット捏造関連で、「番組作りを進める過程で、局の制作責任者がいかに関与しチェックしていたか、あるいはその報告が上層部のどこまで届いていたかが問われるわけで、捏造発覚後の処理のありようをみると、残念ながらそのあたりに危機管理意識が欠けていたのでは」と指摘。


視聴率については、TV通販を通じて、1500万世帯、人工3300万人で、1%でも15万人なので、チラシに比べるもなく、テレビメディアの巨大さを改めて認識させられたとのこと。(p188)また、かつてはテレビ局ごとに番組のジャンル分けがはっきりしていたのに、バラエティが増えてきた経緯として、81年の「オレたちひょうきん族」、82年の「笑っていいとも!」といういずれもフジテレビの番組がもとではなかったかと紹介。報道番組も充実し始め、85年の久米さんのニュースステーション、88年の「ワールドビジネスサテライト」、89年の「サンデープロジェクト」などが契機になったと歴史を辿っている。
ちょうど青春時代を過ごした頃に重なっているので、こうしたテレビの変遷には懐かしさも感じる。


本著ではまた、竹田の子守唄が局側の行き過ぎた自粛によって放送されたなかったことを、「サラリーマン的な「事なかれ主義」のせいで「思考停止」状態に陥っていた結果だ」という森達也さんの『放送禁止歌』を紹介(p112)していたが、これは読んでみたい。
引用されているピーター・ジェングスさんの「絶対的な真理はない。私はいつもコインの両側を見る」という言葉(p158)も、肝に命じておきたい。