読書録

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『日本辺境論』 内田樹 著

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

著者ははじめに、大風呂敷論であり、すべてに言及できないと予防線をはった上で、東西古今のさまざまな識者や逸話を登場させて、日本文化論を展開している。
その問題関心は、憲法九条と自衛隊の矛盾をかかえながら、結果的にはうまく生き延びている今の日本の特質を、あぶりだしている。
「ふつうの国」にならなくていい、というのは、今のような時代には心地よく響く部分もある。
話の展開は面白いのだが、どこまで自分に理解できているのか、そしてこの論の妥当性や汎用性はどうか、というと、心もとない。
丸山眞男さんの思想は、学生時代を思い出し、とても懐かしい気がしました。久しぶりに蔵書にある「現代政治の思想と行動」の分厚い本を読み返してみようかなあ。


p23:日本文化というのは、どこかに原点や粗型があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません。

p44:ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後、「辺境人」と呼ぼうと思います。

p46:この「空気に流される」傾向について、丸山眞男は「超国家主義の論理と心理」の中でみごとな分析を下しました。・・「我こそ戦争を起したという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するのか」

p67:日本は大陸の律令制度を導入しながら、科挙と宦官については、これを導入しませんでした。・・なとなく「当家の家風」に合わないような気がしたので、・・

p100:なにしろ、こんな国は、他に類例を見ないのです。・・日本を「ふつうの国」にしようと空しく努力するより、(どうせ無理なんですから)こんな変わった国の人間にしかできないことがあるとしたら、それは何かを考える方がいい。

p107:(坂の上の雲の初めの方の引用「小さな。・・」)

p149:(こんにゃく問答の落語紹介・・旅の学僧が無学なこんにゃく屋から学ぶ)

p157:(水戸黄門を見るのは、ワルモノが外来の権威を前にして思考停止に陥るところで、自分の心理の構造化を無意識に再認しているから)

p169:辺境人の最大の弱点は、「私は辺境人であるがゆえに未熟であり、無知であり、それゆえ正しく導かれなければならない」という論理形式を手放せない点にあります。まさにこの論理形式が「学び」を起動させ、師弟関係を成立させ、「道」的なプログラムの成功をもたらしたわけですが、「小成は大成を妨げる」という言葉のとおり、この成功体験が逆に、辺境人にとって絶対的な信の成立を妨げてもいる。その成功体験の妨害を解除しかねればならない。必要なのは、「私は辺境人である」という次期規定のかたくなさを解除して、「外部を希求する志」だけを取り出すことです。

p237:(日本語の辺境的構造にふれたうえで)本書が論じているのは「地政学的辺境性が日本人の思考と行動を規定している」という命題ですから・・(真名と仮名が渾然一体となったハイブリッド言語は日本語だけ)「辺境人は日本語と共に」

p248:(九条と自衛隊の矛盾を受け入れた・・「生き延びるための知恵」のような発露。岸田秀の「外的自己・内的自己」論を踏まえ「狂気を病むことによって日本人はどういう疾病利得をえ高?」という問題を立ててみた。この狂気は差引勘定で戦後日本に相当の利得をもたらしたと言う結論に達した)

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