読書録

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土佐堀川

小説 土佐堀川―女性実業家・広岡浅子の生涯

小説 土佐堀川―女性実業家・広岡浅子の生涯

ドラマ化が発表された原案本。七転び八起きならぬ、九転び十起きを信念に、幕末から維新にかけての破綻危機や、炭鉱炎上事故、傷害事件によるけがや病気など乗り越えてきた広岡浅子さんを描く。当時は珍しい女性実業家として活躍し、大学の設立にも奔走。勉強会で市川房江さんらに影響を与えたという姿は、こういう方がいたのだということを初めて知った。


出版した潮出版社のサイト⇒ http://www.usio.co.jp/html/books/shosai.php?book_cd=3914


印象に残ったポイントなど以下に引用
◇京都の豪商油小路三井家(別名・出水家:三井十一家のうち高春から6代目が父・高益)から大阪の両替商・加島屋(土佐堀川にかかる肥後橋前)に嫁ぐ :〜p19
◇明治初期に借金が膨らみ、借り先の東京・毛利友信に何度も通って直談判p70

p75:「人間一生の間に浮き沈みはつきものどす。心を明るう持ってな、七転び八起きいうやないの。いや、うちは九転び十起きと思うてる」

◇夫から石炭の話を聞き、本家に情勢を確かめ資金を集め、九州筑豊炭田の支脈を購入して経営に乗り出す。現場でピストルを喉にあてて覚悟を示し従わせるp107
◇(飯場主制度を廃止する鉱山改革で坑夫の生活改善)「人間、希望がのうては生きる張り合いも出ん」p112
◇(西洋文明が入る中)勉学をし、しっかりと働き、世の情勢を見極めていく。それが真の女性の自立というものではないだろうかp128+洋服の合理性を強調しほぼ洋装にp155
◇鉱山炎上事故後、三井の菩提寺真如堂で高春百五十回忌で五代友厚に声をかけられ「へこたれたらあかんで…仕事は命がけや。死んでも仕事が残る、そういう仕事をせなあかん…」p132
◇夫が紡績会社を始め、自分も銀行経営に乗り出そうとした頃、渋沢栄一に会いたいと手紙をだし大阪で面会、銀行にとって最も大切なのは、金ではなく信用だと教えられる。人間を作っていくことの大切さも伝えられた。p141〜144→銀行に女子行員を採用して教養と実務の訓練+「口先の弁舌よりも誠実さをと指導した」p148
◇川上村の山を所有する大豪族・十倉から紹介された成瀬仁蔵が、『女子教育』の本で人格形成の必要性を訴え、これに共感。資金集めに奔走し、目白台の三井の別荘が用地として寄付されることに。p157〜

p184:「人間て、人の間て書くやろ、他人さんのおかげで蒙って生きてる。自分だけやのうて、もっと人のことも考えなあかん」

p195:「寄付集めに走り回って、うちは一文の得もせんとて思うたら間違いや。ぎょうさんの有力者が信用してくれてお金出してくれはった。つまり信用いう宝もろて、えらい得したことになる。無欲になるほど怖いものはない」

矯風会での講演項目で、1.成功の秘けつはその人に活力があるかどうか。2.自分の小さな考え(小我)にとらわれず、大きな普遍的な真理(真我)を基準におけば行き詰まりはなくなるp211

◇朝日、北海、護国の生命三社で、小異を捨てて大同につくとして大同生命にp219

◇御殿場の別荘で夏季講習会の講師に、井上秀、三井寿天子ら。愛知師範生の市川房江も。「自分たちが選んだ政治家の手で、女性の地位向上が図られるのが夢や…女の政治家も出てきて欲しい。その時がほんまの女性解放や」p249

p259:(ビルの落成式)「うちは、どんな困難に出遭おうとも、いつもこれからが本番やと思うてやってきました。生涯が青春のような気いで、事業にとり組んできました…」


{1/20-31読了、記入は2/1}