・この真実を求め、戦う姿勢に涙がこぼれた。特に高校生からの手紙への返信は、自らが文革時代に生き、その後の改革開放で自分で考えるようになった経験から諭していて胸を打つ。
・弱い立場の人にどう対応するかが国の文化度を測る基準、という言葉は、どこか他の場所で聞いたことがあったかどうか?印象に残る言葉だ。
発刊した河出書房新社(2020.9)のサイト
以下、印象に残った部分がたくさんあるが、メモとして留めておきたい。
まえがきp4:もっと重要なのは、私たちが政府を過信したことだ。湖北省政府の高官が、こうした人名に関わる重大事件に対してあれほど傲慢で、無責任な態度を取るはずは絶対にないと信じていた。・・相変わらずの政治的公正(中国では、本来の意味を意図的に曲解して、党の方針に従うことを指す)を頑なに守り、従来の手順に従って仕事を続けることはないだろうと信じていた・・私たちはすでに、この大災害がのかなりの部分が人災だと言うことを知っている。1月30日 彼らに責任転嫁の余地はないp34:今後おそらく、功績を称える文書や詩を書くことを要求されるだろうが、筆を執るまえに数秒考えてほしい・・・私は年老いたとは言え、批判精神は衰えていない。2月7日 深い闇夜に、李文亮は一束の光になったp58:「李文亮の家族と子供は、我々武漢市民が面倒をみるぞ!」これに多くの人が応じた。2月8日 感染症との闘いは継続、私たちも頑張っているp61:たとえ書くたびに削除されても、私は書く。・・・かつて地下に潜っていた共産党は、あれほど困難な状況でお情報を送り出していたではないか。今はネットが発達していて、文章は簡単に発信できる・・・2月10日 転機はいつでも訪れるp70:削除には懲りた。私もほどなく「都合のいいニュースだけ」を発信する人間になるのだろうか。2月15日 武漢よ、今夜私は愚か者に関心はない。ただあなただけを想っている。p89:飛象網 項立剛ブログ(日記に、他人のスマホの写真を文章を貼り付け、デマだと批判・・110万不ロワー・・)ブログが閉鎖されて発信できないときに・・口汚く私を罵るのだ。2月18日 民は疫の中に在りて泣く 相煎ること何ぞ太(はなは)だ急なる2月24日 ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度をとるかだ★p141:←この言葉の検索で、著作からテレビ番組など,ヒットする・+ブログは数日前、すでに閉鎖解除された。当初はもう戻る気がなかった(失望・ごろつき多い→再開)「世界をあながた軽蔑する人に譲り渡してはいけない」(罵倒した人を受取り拒否ブラックリストで隔離)⇒p251:この時代の記憶に、恥辱を残すことはとても重要だ・・・言葉の暴力という別の伝染病が私のブログのコメントに蔓延したのだ。3月7日 二次災害の被害者が中国語になると誰が予想しただろうp204:(チャットで話題)「恩義に感謝する」という言葉だ。武漢の指導者は市民に、党と国家の恩義に感謝するよう求めた。まったくおかしな考え方だ。・・・公務員は市民の公僕・・・3月8日 手がかりができた、調査を始めるべきだろう・財新の記者が香港の袁国勇(香港大医学部教授)インタ記事:WHO合同調査のQA・p210(3/10 騒客文芸のインタビューの答える記事:大きな反響を呼ぶことについてなど)3月11日 ここまで来たら、もう削除しきれないだろうp227:(中央病院のアイフェン医師の名前がネットを埋め尽くす)記事が削除されたことで、民衆の怒りに火が付いた・・・ネット検閲官がいくら削除しても追いつかない・・・p228:責任を追及しなければ、損害を被るのは国家なのだ。失われるのは政府の威信である。民心の受ける傷は言うまでもない。3月12日 誰かが警察に圧力をかけて、私を攻撃しようとしているのではないか(特権で姪をシンガポールに脱出させたなど)p232:私は今年、65歳。すでに退職し、病気がちだ・・・私は局長クラスの幹部ではない!重要なことなので3回言う。p234:清廉潔白絵で、原則を守り、事実に基づいて話をするからだ。p235:「方方の日記は私たちの鬱陶し生活における通気孔だ」★3月14日 次に警鐘を鳴らすのは誰なのだろうP244:新聞記者の職責と使命は何か?・・・私の個人的な見解では、社会と民生に目を向けることが、最も重要なことだと思う。(ウィルスの発生と、デマを流したネットユーザー8人の処分・続報)p245私のような庶民でさえ、新型ウイルスの恐ろしさを聞いて(1/18外出時にマスク、メディアは1/19新年を祝う食事会、21に大規模な歌舞交歓会)・・職責を放棄したことを恥ずかしいと思わないのか?3月16日 陸游の詩句を借りて言おう、錯誤、錯誤、錯誤p253:パルガス=リョサの著作がすべて、本屋の棚から消えたという・・・3月18日 あのときの私たちが、今日のあなたたちだp269:(16歳の高校生からの公開書簡に対し)11歳で「文革」が始まり、21歳で「文革」が終わる・・私には自分というものがありませんでした・・独立思考の必要性を知った・・改革開放がなければ、今日のすべてはなかったと言えるでしょう。私がこの日記を書いたり、あなたがあの公開書簡を書いたりする権利も、そこに含まれます。このありがたさに、私たちは感謝しなければなりません。・・私は自分の頭で問題を考えようとしました。当然、そのためには、自分の人生経験、読書、観察、努力が基礎となります。3月19日 私は定年退職したが、裁判をする気力はまだ残っているp274:私に対する無数の罵倒は、まさに私がこの災難のときに、称賛の言葉、喜劇、光明を描かないことを非難しているのではないか?3月24日 私はうるわしい戦いを終えた (60篇)p305:私は走るべき道を走り終えた。私は信じる道を守り通した。
・ネットで攻撃されながらも、伝えようようという姿勢、記者への批判、悲しいことは書けないおかしさ・・
『不屈 盲目の人権活動家 陳光誠の闘い』の読後感と同様、著者の力強さ、人間として生きる以上、抑えられない思い、を強く感じた。
習主席の歴史談話で終えた中国全中とはいえ、ネットで広がる日記への共感や動きは、抑え込めないのではないか?かつてのソ連体制が変わっていったように・・・
{2021/11/15月-17水:読了、記入は11/27}